月刊ハコメガネマガジン

好物はカレー。

夏に夜空を見上げる話

9月になりました。


8月が終わってしまうと、夏が終わったように思えてしまうのは、よくよく考えれば不思議な事で、9月になったところで急激に暑さがなくなるわけでもなければ、制服が夏服から冬服へチェンジすることもなく。要するに「小中学生時代の夏休みが8月31日で終了する」というこのただ一点のみで夏が終わると認識しているのだろうと思うわけです。

小中学生と書いたのは、すでに僕が現役の高校生の時代では、8月31日を待たずに夏休みは終了していた実績があり、まぁ更に言うなら部活漬けだった日々を振り返れば、夏休みだろうがなんだろうがお構いなしに部活のために学校に行っていた記憶があるからです。今思えば完全オフの日が365日で元旦だけというのは明らかに常軌を逸していたような気がします。あまりのキツさに部活どころか学校までサボって遊びに行ったのも今となってはいい思い出ですが。あ、大学生はそもそも9月中旬まで休みですね。

話が少々ずれましたが、期間的な「夏の終わり」を多くの人が小学生の夏休みの終わりを基準として感じている、という話です。

もっとも、感覚的な「夏の終わり」というものはいろいろあって、例えば気温的な変化で肌寒くなるとか、旬の食べ物が変化してくるだとか、線香花火をやり収めるだとか、みんないろいろな部分で夏から秋への移り変わりを感じていると思うのです。ここらへんは、四季の国日本ならでは、といったところも大きいですよね。風流というか。

そう。夏の終わりは、本来は明確に決められるようなもんじゃないのです。

8月31日が終了して9月1日になって始業式になったところで、体育館のあの蒸すような暑さは変わらないし、苦し紛れに開け放たれた大扉の向こうに見えるグラウンドには陽炎が立ち上り、誰も望んじゃいないだろうに天高く登っていくその太陽はジリジリとグラウンドを、校舎を、そして体育館を焼いていく。一昔前に比べて数が減ったと思われるセミだって、ジワジワとその存在を声高らかに主張している。一体どこのどいつだ。8月31日に夏の暑さは終わりを迎えるから9月1日から普通に授業を始めるべきだなんていう根拠のない理論を振り回したのは。夏休みは日中暑いから集中力や効率が落ちるから休みにしようと始まったものではないのか。それならば休みの期間は気温によって決められるべきではないのかと中学生の頭は愚考する。ついでに言うならば先程から壇上で校長がたるんでるだの気合が足りないだの言っているが、たるんでるのは腹の肉で、気合が足りないのは毛根なんじゃないだろうかと、寝不足の頭で考える。怖いので誰のかは言わないが。いい加減このクソ暑い始業式は終わってくれないものだろうか。

 

UFOが飛ぶ夏は、今年ももうちょっと続くようです。

 

 

 

日向豊とぼっちゲーマーラプソディのお話

ゲームは、逃避であり、娯楽だ。


いえね、昨今e-スポーツだなんだと盛り上がってますので、バッサリとゲームを「逃避」だなんて言ってしまうと、色んな人から刺されかねないのですが、あくまで、個人としての見解、という形で聞いていただければと思うのです。

実は、先の言葉は自分が言ったわけではなくてですね、「ゲーマーズ!」という作品の主人公、天野景太が発した主張なわけです。多分初っ端の初っ端、学園アイドルで羨望の的、天道花憐が部長を務めるゲーム部に誘われ、それを断る際に、「自分がやりたいゲームはここにはない」という主旨で、そう言ったんです。

ま、フィクションだと言われればそれまでなのですが。割と豊さんには響いた言葉なわけですよ。

ゲームをする目的、って、大人になればなるほど考えてしまうものですよね。豊さんはそれなりに社会の目を気にしてしまう質なので、一人用のゲームをオフラインでひたすらする姿って、一般的に見ればあんまり好意的には見えないものです。

最近のゲームは、オンラインで友だちと遊んだり、顔も知らない誰かと競ったり協力したりといった仕様になっているものが多いように思います。昔もマルチタップと言って、一つのゲームで4人5人が対戦して遊ぶみたいなものはありましたが、今は100人で競い合って1人の勝者を決めるようなゲームもあります。

それ自体を否定する気はサラサラなく、自分だってランキングが表示されれば「もっと上に行ってやろう」とか、勝負で負けて悔しいと思うことも多々あります。

そう、他人とのコミュニケーションツールとして、ゲームを利用する。これはとても正しい図だと思うのです。

ゲームの中で強くなれば、他人から頼りにしてもらえる。ゲームの知識が豊富ならば、他人から尊敬してもらえる。顔がわからなくたって本名なんか知らなくたって、「友達」に会える場所がゲームの世界にはあるのです。これはとてもすごいことです。

それでも一方で、息苦しさを感じてしまう場面があるのも事実です。

気にしすぎだと言われればそれまでかもしれませんが、例えば「他人と協力しなければ手に入らないアイテム」や、「達成できないクエスト」なんていうのが割と苦手だったりします。

自分が手伝う立場なら、そんなことは思っていないことは分かるのですが、人はどうしてでしょうね。「強者に頼る」ことを遠慮してしまうことがあります。大なり小なり、覚えがある人も多いんじゃないでしょうか。変なプライド意識だと言われればそれまでなのですが。

後はそうですね、音ゲーなんかは、本質として「曲に合わせてリズムタップを楽しむ」ものだと思っているのですが、それが「スコア対戦」になってしまうことも多々あります。

違うんだ。僕はゲームがしたいだけで、他人に買って優越感に浸りたいわけではないのだ。と心の中でいつも思ってしまうのです。

そういった点では、ランキング勝負、だったり、ゴーストのような、ガワ(設定)は人だけど中身はコンピューターと対戦、みたいな状況はいくらか気が楽です。自分が勝っても恨まれないし、自分が負けても悔しさが相手に伝わらないし。

なんと言うんですかね。結局コミュニケーション下手なのがゲームやってる時にも発揮されちゃうんでしょうね。だから冒頭に上げたような、一人用ゲームを部屋にこもって黙々とやる、みたいなシチュエーションに心落ち着かせてしまうのです。

これまた無駄な悩みなんでしょうけど、「果たしてこれは正しい姿なのだろうか」と考えてしまう自分がいたんですよ。

いやもうゲームなんかしてる時に生産性なんか考えてもろくな結果にならない、というか明確な生産性なんかあるわけもないんですが、先に上げたコミュニケーションツールとしての有用性が確立されている以上、そういった使い方をしなければいけないんじゃないか。そんな事を考えてしまうのです。

ゲームをしていて、なかなかな長年の悩みだったのですが、先の言葉、ゲームは「逃避」であり、「娯楽」である、と。

いやぁ割と目から鱗が落ちる勢いでしたね。

「逃避」であるなんてバッサリ言ってしまうなんて割と勇気のある行為だと思うのですよ。自分の趣味をマイナスであると認めちゃってるわけですから。(フィクションですけどね)

でも、それが故に娯楽であると。競い合うのもゲームの姿の正しい姿であるけれど、それは自分には合わない。そう言う主人公の言葉がすごく印象に残りました。


という、「一人で黙々とやるゲームもよいよ!」というお話でした。

ちなみに、「ゲーマーズ!」ですが、原作ライトノベルの他に漫画、アニメにもなっております。

勘違いとすれ違いが織りなす青春群像劇で、ゲームのことがわからなくても笑えて楽しめると思います。

ちょっとでも興味があったらぜひ。

豊さんは、(賛否両論ありますが)いつまでもアニメ2期を待っています。

 

 

 

かき氷機を買った話

かきごおりにハマっている。


またいきなり昭和な話題から入ってきたなと思う諸兄と、こいつまたはやりの台湾スイーツ(笑)の話題を出して女子人気を得ようとしていると思う諸兄がいると思うのですが、どちらにしても諸兄(男)しかいないという点がポイントです。ポイントじゃねぇよ。

昨今、テレビでも何かと話題になっているふわとろ系かき氷。まぁ昨今といいつつ3年ぐらい前から台湾だなんだとブームが来ているようですが、ようやく我が家にもかき氷機が導入されたわけですよ。

あれですね。豊さん世間知らずも甚だしいのですが、いまかき氷機結構安くお買い求められるんですね。一万円ぐらいするんだろーとか思っていたら、安いもので2,000円。電動のものだって4,000円からあるんですね。ちょっとカルチャーショックでした。実家で小学校時代使っていたものは手動でもっと高かったように思うのですが、技術と生産力の向上とはかくも素晴らしいものなのか。

東急ハンズをブラブラしておりましたらそんな発見がございまして、この夏めでたくかき氷機を購入しましてですね。

 

 
なんと言うんですか、「ふわとろ氷」でしたか。

そんなものが幻想だと知りました。

いえ、幻想というか、できるんですよ? できるんですのよきめ細かい氷。自分の記憶にあるような舌の上でも若干の「固形」を主張してくるようなかき氷ではない、たしかに口に入れた瞬間に溶ける氷は作れますのよ。作れるんですが。

あの、シロップめっちゃ弾くのな。

オールきめ細かい氷で器に山盛り氷盛り。よっしゃ行くぜと言わんばかりに勢いよくいちごシロップをドバーッとかけて一面血の海(言い方)に染め上げた後、いざ実食とスプーンを入れた瞬間、血の色をそいだ瞬間現れる純白の白。

これね、考えりゃ何となく分かるんですけど、細かく削ってるもんだから、氷と氷の粒の間が少なくて、シロップが浸透しないんですね。粘度の高いシロップはなおさら。表面を土石流のごとく滑っていく。理科の実習にいかがですか。

これが思いの外テンションが下がってしまい、どうにかしてかき氷全体にシロップを行き渡らせることができないか試行錯誤。しかし、一番確実なのは、シロップかける→削る→シロップかける→削る…を延々繰り返して作成することぐらい。こんなの面倒すぎる。毎回やるなんて考えられない!

というわけで代案、そもそも味のついた氷を凍らせてかき氷にする。よくある氷いちごみたいな方法ですね。

いきなり果物を凍らせて削るというのもハードルが高いので、オレンジジュースとりんごジュースを凍らせてトライ。

結果。ベトベトになる。

いやまあ半分ぐらいは予想できてましたけどね。非常に口当たりの微妙な氷になりました。味は…やはり凍らせる(温度を下げる)と甘みが薄くなりますしね。個人的にはこれはかき氷ではなく別のなにかです。薄いシャーベットとかそういう感じ。

しかも。洗うのめっちゃ面倒くさい。純粋なる氷ならいいんですよ。氷なら。水ですから。極論使いっぱなしでほっといても蒸発するので問題全くナッシングなんですが、糖分が含まれた氷はそうはいかない。ベトベトオブベトベト。至るところがべとつく。

もうね、これがストレス以外の何物でもない。いちいち洗ってられるかぁーーー! と、一瞬でこの案は没になりました。別に凍らせていたぶどうジュースなんかはそのままかじった。

結局の所、昔のように粗めの氷で削って、氷の隙間を大きくしてシロップを流すのが一番無難だという結論に。なんとなくね、わかっていたのですよ。家庭用では限界があると。

というわけで、豊さん宅のかき氷機は、今日も今日とてゴリゴリと粒の大きい氷を削っています。

ふわふわが羨ましいわけじゃないもん。ちがうもん。

頭が痛い話

とは言っても、別に比喩でも何でもなく、物理的に頭が痛い話です。
ええ、偏頭痛というものになりましてですね奥様。


世の中言葉が溢れておりまして、偏頭痛というものの存在は知っていたのですが、やはり知識と体験は違う。百聞は一見にしかず。夏休みをほぼほぼ寝て過ごす羽目になってこの病気の恐ろしさを知りました。あっという間でしたね僕の夏休み(遠い目)

晴れて頭痛持ち、皇帝ネロと同じステータスを獲得したところで、外見もその他のステータスも全く似通っていない現代のおっさんが何ができるかと言われれば、その体験記を記し、皆様に知識の共有を。いざという時に慌てないための情報を提供することぐらいなのです。

そう、あれは忘れもしない週末の金曜日のことでした。

普段一日350mlのビールやチューハイしか飲まない豊さんが、友人との宅飲みで痛飲。調子に乗って日本酒やワイン2瓶を空けてしまいました。楽しくなったのかほぼ一人で飲んでいたような気がします。

で、案の定次の日は完全に二日酔い。朝6時に目が覚めて(3時間睡眠)、そこから胃の中のものを吐き倒す。胃の中とは言っても出るものは胃液と飲んだばかりの水ぐらいのもんで。マッチポンプという言葉が頭の中をぐるぐる回りながら、3時間ほどのたうち回ってました。

その後、一眠りしたところで吐き気は落ち着いたのですが、頭痛が治まらず。あーこれは今日使い物になんねーなと諦めの境地で、夏休み初日をグダグダ潰すことを決意。それにしても痛い。あーアルコール残ってるうちに痛み止め飲むのもなぁと思いながら時間を潰し、夕方頃まだ頭が痛かったのでロキソニンを飲みました。

それでずいぶんと楽になるかと思いきや、その後もずっと「頭が重い」状態が続き、あれこれ風邪ひいたか? と夏風邪を疑いだします。いくら豊さんの腎臓が弱いと言っても、流石にまる1日以上経ってこの状態が続くのはおかしい。が、熱を測っても平熱、圧倒的平熱。熱中症も一瞬疑いましたが、どちらにしても熱がないのはおかしい。

ただ、頭が重いといっても、正確には「頭痛に昇格する一歩手前」ぐらいのイメージなので、日常行動には支障がないため、日月と普通に過ごしていました。

時たま思い出したように脈拍に合わせた拍動性の頭痛が起きるのですが、それはロキソニンでなんとか対処。しかし、いつもならロキソニン飲んで寝ればスッキリ解消していた頭の違和感は以前消えませんでした。

流石に症状が続くので整体で見てもらい、ごきりと矯正してもらったんですが、症状の改善は見られず。最初の発症から一週間後に満を持して頭痛外来を受診。

問診して、CTとられて頭の中を輪切りにされたんですが、割と楽しいですねあれ。初めてやりましたけどワクワクしました(そんな場合じゃない)

で、告げられた言葉。「おそらく偏頭痛が発症してますね」

30代男性には珍しいそうですが、がっつり偏頭痛みたいです。

しばらく様子を見て改善しなければ、今度はMRI取りますと宣言されてしまいました。

頭痛外来で問診、CT検査で初診の場合、保険適用でだいたい5,000円前後の費用です。高いと見るか安いと見るか。土曜日昼からの検査で割増だったのもあるんでしょうが。

まだ完全に特定できてはいないため、結局は様子見ではあるのですが、ロキソニンがあんまり効果ないことを告げると、「ああ君は身体が大きいからねぇ」と、ちょっと強力な薬を。ジクロフェナクナトリウムSRで、一日二回までしか飲んじゃダメ、ロキソニンと飲み合わせちゃダメときつく注意をいただきました。そんな強力なのかこれ。

というわけで、経過観察中。。。しかしおそらく偏頭痛でしょうね。長い戦いになりそうです。

ここで皆様にお医者さんに個人的に聞いて初めて知った頭痛の3つの新事実!

1.多くの場合、頭痛は我慢しても良くならないので、さっさと薬をのむべし
頭痛薬を飲まずに気合で頭痛を治す、要するに薬の耐性を上げないように我慢しちゃうという話をちらほら聞きますが、逆効果のようです。そもそも、決められた用法、用量を守って服用していれば、相当長期間に及ばないと耐性が上がることはないようです。そんな長期間ひどいようなら、さっさと病院に行けという話ですね。

あと、意外だったのが閾値の話で、頭痛などは繰り返し起きる度に、どんどん閾値が下がっていき、「頭痛になりやすい」体になっていくというものでした。頭痛薬は根本的な痛みの原因を取り除くものではないですが、痛みという刺激を麻痺させることができ、閾値を低下を防ぐことができるので、我慢せずに薬を飲みなさいとのことでした。

2.頭痛は温めようが冷やそうがあんまし関係ない
よく偏頭痛や緊張性頭痛など、頭痛の種類によって温めたり冷やしたりと対処方法が紹介されています。

血管の収縮などは正しいことを書いているのですが、正直外部刺激で効果が届くのは皮下の僅かな範囲だけで、大半の頭痛の原因である深部には到底及ばないとの話。

ただし、冷やす(温める)事によって、頭痛を認識していた神経が冷やした箇所の刺激も認識するようになるため、結果として頭痛の刺激が和らぐことにつながる、ということになるみたいです。刺激の分散化ですね。これも例によって根本的な解決にはならないのですが、やらないよりはマシ、とのことでした。

3.なんかこれおかしいなと思ったらすぐ病院行け
べつに頭痛に限った話ではないのですが、「いつもと違う」と認識した時点で、病院へ行く算段をつけてくださいと言われました。

軽い頭痛でも、なんか痛む場所がいつもと違うなとか、薬で治まるけどなんかずっと頭が重たい気がするとか、素人判断はやめて素直に病院に来てくれとのことです。典型的な脳卒中みたいに急に倒れちゃうのもあるけど、一週間ぐらい頭痛が続いてその後に寝てる最中に…とか言うのもあるらしいので。

というか、脳卒中って即バターンってイメージがあるんですが、状況によって千差万別、十人十色で発症するみたいですね。「もしかして?」とマイナス思考で考えて命が助かった例もあるそうで、マイナス思考捨てたもんじゃないじゃないかと思った次第です。


とまぁつらつらととりとめもなく書き連ねてみましたが、これ実際自分用の忘備録みたいなもんですね。

取り立てて特別な症状ではない頭痛ですけど、頭という部位に発生する異常であるという認識は、持っておいたほうが良さそうです。

 

※あくまで自分の個人的な見解と思いです。記事内にも書いていますが、おかしいと思ったら病院に行ってください!

高い買い物は使用頻度と一日あたりの利用料金を算出すると買いやすくなるという話

ベッドをね、買ったんですのよ奥様。


今の家に住み始めてはや7年が経過し、そのうち6年ぐらいは入居と同時に買ったすのこベッドに布団を敷いて寝ておりまして、半年ぐらい前にすのこがギシギシ言うのに耐えかねて放棄、通気性は良いかもしれませんが、いかんせん耐久性に難有り。それ以来フローリングに直で布団を敷いておりましたが、まぁいかんせん10年来使っている敷布団に綿などあろうはずもなく。床に寝ているのとほぼ同義という様相でございました。

万年腰痛い肩痛い首痛いと体の不調を訴えていますがそりゃそうだろうと言わんばかりの寝姿。決して寝相は悪くないのに、寝起きはどこかしら寝違えたように痛み、歯磨き中のくしゃみ一発、もしくは顔を洗おうと洗面所にかがんだ瞬間に走る魔女の一撃、これこそストライクウィッチーズ。なんの話だ。

ともかく、このままでは良くない。下手にふかふかなベットでは確かに寝にくいけど、だからといって毎日床に寝ていたら体がごちごちになってしまう。

というわけで夏のボーナス一念発起、ベッド購入に至りました。

まぁ、実際のところ、ベッド、正確に言うとベッドフレームは丈夫であればどうでも良くて、快適な安眠を得るためには通気性より堅牢性、丈夫なフレームであれば特段文句は言いません。ギシギシいうのは安眠妨害以外の何物でもない。

重要なのはマットレス。実際、布団の下に敷いて使う薄型のマットレスもあるのですが、この腰痛はそんな薄いものじゃなんともならない。ということで、ベッドフレームとマットレスのセット購入と相成りました。締めて13万円。なかなかなお値段。

一言にマットレスと言っても、ピンからキリまで、通気性から耐荷重、素材といった機能的な面から、柔らかさや硬さを重視する好みの面まで、その種類は多岐にわたります。いやほんと、マジで種類多いから。

一年間ぐらいコツコツとマットレスについて調べ続けた僕が、ここでマットレスの種類についての講釈を延々と書き連ねてもよいのですが、世の中には猛者たる猛者がおり、僕の知り合いにもワンルームに住んでいるくせにマットレスを4種類保持、気分に合わせて使い分けているマットレスマニアがいる。どこに保管しているのか甚だ疑問、不用意に「そんなマットレスがおすすめ?」とか聞いたら最後、話が止まらないどころか、数日に分けた上に実地演習まで織り交ぜて講義が敢行されることうけあいである。

というわけで、マットレスについてのうんちくを語るのは、まとめサイトに丸投げして、マットレスを選びに店に行く時に決めておくことだけお伝えしたいと思います。


・硬さの好みをある程度知っておけ

マットレスを選ぶ時にシンプルに一番の基準になるのがこれである。いやもう硬ささえ合っていれば、ある程度のことは度外視できる。布団が好きな人は固め、ホテルのベッドが一番安らぐという人は柔らかめ、腰が悪い人は固めのマットレスが合うということを覚えておくだけでも違う。展示場で1分づつぐらいゴロゴロしたところで好みなんてはっきり分かるもんじゃない。もんじゃないのだが、好みを絞ることである程度選択肢を絞ることが可能なのも事実である。

日本人的には、一般的に硬めのものを好むことが多い、というのも一つの指針になるかもしれない。


・後は、予算である

そりゃ上を見ればキリがないのが何事においても常である。予算を決めてかからなければ、いつまで経っても決まりはしない。自分に必要な機能を追加していって商品を決めるのか、それとも機能を削っていって商品を決めるのか。富裕層は前者なのかもしれないが、あいにくとこちとら生まれながらの中流家庭である。昨今の社会情勢ではその区別に意味があるとも思えないのだが、無い袖は振れない。予算は決めてかかるのが吉である。

なお、おすすめは、通常の予算と限界の予算を決めておく手法である。漫画家の締切と、平日の目覚ましスヌーズと同じで、心の中のセーフラインを二本引いておくことで、精神的余裕を生み出す。日本の小売販売員のセールストークの常として、当初の予算の2割増しまでなら出す可能性が高いというものが業界の常識としてはびこっており、それに合わせて商品を勧めてくる店員のなんと多いことか。それが買い手にとっていいことだとは思わないのだが、勧められたものを検討できる予算は確保しておくのがおすすめだ。


以上2点である。よく考えれば別にマットレスに限った話ではないとも思う。車だろうと家だろうと同じだ。好みと、予算と、後は妥協点の探り合い。

しかし、1年間悩み続けただけあって、ここ最近の身体の不調は改善された…ような気がする。うん。良くなってる良くなってる。イッツポジティブシンキング。費用対効果は決して低くない。悩んだ期間に対するリターンは、たしかにあった。いざとなれば、60日以内ならマットレスの硬さの無償交換もできるし!


だがきっと。

それを優柔不断と、人は言う。