月刊ハコメガネマガジン

好物はカレー。

何もしないという英断

わずらい自慢は人様にするものではないと言いますが。

新年一発目からこの話題もどうなの、と思わなくもありませんが、正月休みブルーという話もございますので、一つ。

あと。自分は精神科医でもなければ専門家でもないので、ひとつの見解としていただければ。

他人の症状を知ることで、安心できるという側面があることも事実。何よりも、その人が吐き出すことで楽になるならば、わずらい自慢だろうが何だろうが話を聞く所存です。

 

 

 

というのも、昨今のこのコロナ禍の中。新型コロナに罹患すると、「食べ物の味がしなくなる」という症状が出るそうで。

 

食べ物の味がしないという体験は、まぁ例えばひどい風邪をひいたときに鼻が詰まって全く食べ物の味がしなくなるというような場合に経験することがほとんどだと思うのですが、もう一つ、普通の人が陥るものとして、うつの諸症状の一つとしても挙げられます。

 

まったくもって健康体、体のどこにも不調はないけど、目に入るものに興味を持てない。世界が平面に見えて、遠近感が失われる。「いや俺が頑張ったところで何も変わらんし」「世界は俺抜きでも回ってるし」「いやそもそも俺がいなくなったところでだれか気づくんかいな」ぐらいまで思考が回りだすとだめです。

 

こうなってくると、五感機能が低下して、特に異常をきたすのは味覚と嗅覚です。食欲がないわけではないので、適当な食料に手を付け始めるのですが、例えば袋ラーメン。醤油も塩も味噌も全部味がしない。かろうじて全部塩味がするなあぐらいにしか認識できなくなります。

 

動きが緩慢になって、椅子に座ってPCに向き合い、いやこんなことしててもだめだ、生産性のある事をしないと、と思うのですが、生産したところでだれにも期待されていないし、大体生産っていったい何を。それじゃあ勉強だ、アウトプットがだめならインプットだ。何か役に立つことをインプットしよう、資格の勉強をしよう。いやいや資格とって何するの。転職でもするの、資格とって給料上がるの、結果になるかもわからないことは果たして生産的というのか否か。じゃあやりたいことやろう。たまっていたアニメとゲームとマンガと小説もたくさんあるけどいったい自分は何から手を付ければいいんだろう。

 

書いていて若干心苦しくなってきましたが、誰でもそんな風に考えることがあるんじゃないかと思うのです。それは決して異常なことではなく、特別なことではなく、普通のことなんだと。思考のループに陥っている人に言ってあげたい。

 

で、そんな状態の人はもう自己肯定感なんてものは全くなくて、何を言っても頭に入ってこないし、反応がない。そのくせボーっとしているわけではなくて、何かに追われるように焦っている。人間の感情の中で、焦りほど害を及ぼす感情はないと思っているんですがいかがでしょうか。

 

ですから、無理を承知で、「何もしない」ことを選択するのが一番の良薬だと思います。そしてそれ以上に、今の自分の状態は通常の状態ではないことを認識して、何もしないことで治療をしているという客観的な視点が必要なんだと思うのです。ただこれね、自分ではなかなか気づけないことだから、周りの人が言ってあげなければダメだと思うのです。

 

そして以外にこれ、新型うつにも効果があるんじゃないかと最近思います。正直自分自身は新型うつだと診断されたこともないので、断定はできないのですが、新型うつの人って真面目なんですよ。先に上げた「〇〇はだめだけど何かしなきゃ」って考える段階で、実際に行動に移せちゃう人。そういう人が新型うつって呼ばれているだけで、本質はおんなじなんだろうなって思います。

 

やったってやらなくったって、時間経過でだんだん動けるようになるもんだってこと。短い周期でこれを繰り返していると、なんとなくわかってきます。「あーまた来たな」って感じ。

 

短い周期で来る人もいれば、年単位で長く患ってしまう人もいます。人間はどうしても社会性を持つ生き物ですので、年単位で「何もしない」というのもなかなかに難しく、何よりそれは恐怖でしかないのですが、助けを求める先は、意外と多く存在します。病院なり市役所なり電話窓口なりで相談してみるのも一手です。

 

というか、人に相談するのが一番です。何もしないっても、最低限自分の状況を伝えるべく、人と話すことだけはしておきましょう。

 

徒然なるままに。願わくば心静かに日々を過ごせますように。