月刊ハコメガネマガジン

好物はカレー。

本棚に見るラブストーリーの可能性の話

自分の読書の趣味が偏っているのは重々承知しているわけで。


いや、偏っているというよりは雑食性すぎると言ったほうが正確でしょうか。正岡子規を読んだ次の日にメンズノンノを読み、そのまた次の日に発達障害の方が書くビジネス書を読み、傍らに吉岡里帆の写真集を置きながら、Kindleでシックスサマナ(海外のサブカル系カオス雑誌)を読む。混沌にも程がある。

一昔前に流行った「本棚性格診断」というものがありますが、怖すぎてやっていません。というより、ウチにはコレクションや見栄えを目的とした整然と並んだ本棚と、真面目に整理する気のない、自分が読むためだけに突っ込まれた本棚というものが存在し、もうすでにこの時点で完全な二面性、人として信用できないと言われているようなものですよ。別にエロ本隠してるわけではなく、整理されている方の本棚に鳴子ハナハルとかひよころーとか燦然と輝いて並んでいる時点でお察しなわけです。

いえ、怖くてやっていないだけで、本棚には性格が出る、という意見には賛成なのです。几帳面に1巻から順に並んでいる本棚、シリーズごとにしかまとめられておらず、巻数もバラバラ、本のサイズごとに分けられた棚もあれば、背表紙何それ美味しいのと言わんばかりに突っ込むだけ突っ込まれた本棚もあります。

まさに、十人十色。本棚の整理の仕方は、人柄が出ると思うのです。

ちなみに私はといえば、几帳面に1巻から並べるようなことはせず、ある程度同じシリーズでまとまっていればオッケー派です。だって自分の好きな話をつまみ食いして読んだらどうやってもばらばらになっちゃうし。見栄えしか気にしていないものぐさがここにいます。

実家の本棚は、ひたすらに文庫小説が並んでおり、これは我が親父殿の蔵書なわけですが、ひたすらに紙のブックカバーが掛けてあります。

はっきり言って、カバーは外出先などで飲むときなどには汚れや題目隠しに有効ですが、家で保管しているときにはまったくもって邪魔な存在です。いや、本の日焼け止めというなら本棚そのものに日よけカバーを掛けるべきであって、本にカバー掛けたままなのは、背表紙も何も読めないではないですか。と何度も聞いたのですが、その度に「よごれるから」「いいだろ別に」というお言葉なので、最近はちょこちょこ混ざっている官能小説をごまかすためだと勝手に理解しています。

ある友人の本棚は、カラーボックスを積み上げに積み上げて「ウォールシェルフだ」と言い張って憚りませんでした。確かにそれに文庫本から同人誌、漫画、ハードカバーまで理路整然と収納されているさまは圧巻ではありましたが、地震の時に「真面目に死ぬかと思った」と床に大きな凹みを空けて落下するカラーボックスを見てから、考えを改めたようです。なんで最上段に画集とか入れとくのさ。

とまあ、本当に様々な本棚が世の中にはあります。

人の本棚を見ていると、やっぱり漫画の好きな優先順位や、くり返し読んだ本、並び方の癖など、様々な発見があるものです。そこまで注意深く見なくとも、あ、こんな本も読むんだ、と、新たな発見があるかもしれません。気になる女の子の家に行って、「あ、この本持ってるんだ、貸してよ」などというのは、次のチャンスにつなげる重要な一手です。

たかが本棚ですが、そこから始まるストーリーもあるかもしれません。

気が向いたときにでも、整理してみてはどうでしょうか。


ええ、ちなみに、「女の子の部屋に入って本棚を物色している」という時点で、本を借りて次会う約束を取り付けるなどというみみっちい手は、基本的に打つ必要がないぐらいのレベルに達しているということは、聡明な諸兄は気づいておられると思いますが、中学生の豊さんには少々難しい問題だったということだけ、書き添えておこうと思います。

 

夏の醍醐味の話

引き続き夏の話である。


小さい頃は夏がとにかく好きだった。いつまで経っても暗くならないし、プールの授業があるし、なにより1ヶ月半もの休みがある。浦安鉄筋家族小鉄もかくやという勢いの我が小学生低学年時代は、とかく夏が好きだった。

今はといえば、意外かもしれないが好きだ。青年期には暑いもう何もやる気が起きないと嫌いになったこともあるが、大人になって夏の楽しみ方がわかってきたように思う。

というわけで今日は、大人から見た夏の楽しみ方というものを再発見したいと思います。


・ビールが美味しい
上司に言わせれば「365日24時間ビールは美味いだろうが」と怒鳴られること請け合いですが、やっぱりこれが一番なんじゃないでしょうか。寒い中キンキンに冷えたビールを飲むのはちょっと遠慮したいシチュエーションです。

忘れもしない25歳の夏。それまで美味しいと思ったことにないビールだったのが、ライブ終わりのテンションで最高にのどが渇いている状態で友人と飲んだキンキンに冷えた生の美味しさは、確実に自分を変えました。ちょっと大人になった気がしました。

ちなみに体内に水分が少ない状態でアルコールを摂取するのは、大変危険な行為です。良識のある大人は絶対に真似しないはずなので、やっぱり気のせいだったんじゃないかと思います。


・洗濯物が全部洗える、すぐ乾く
一人暮らしをしていると、滞りがちになってしまうのが洗濯物。冬場はなかなか乾かないし、着るものもセーターなど厚手のものが多くて洗濯物も気を使う。その点夏はどうだ、確かに汗はかくだろうが、Tシャツ一枚ポロシャツ一枚。まとめて洗濯機に入れてポイ。丸洗いで天日干しですぐ乾く。イエス、ストレスフリー!

まぁ実際は洗濯ネット入れたり陰干ししたりなんやらで気を使う場面はあるんですがね。それでもカラッと洗濯物が乾くのは気持ちがいい。実家ぐらしにはわからない快感。


・アイスが美味い(種類が多い)
アイスですよアイス。いえ、冬だろうがなんだろうがアイスは美味しいんですけどね。万人においてはやっぱりアイスは夏の食べ物という認識が強いみたいで、一年中アイスを常備している私のようなアイス愛好家は現状に疑問を呈している次第です。

話を戻しますけど、やっぱり夏はアイスが売れるので、種類も多く、毎週のように新商品が出てるのですよ。コンビニ一つとっても明らかに冬より置いている種類が多いですし、「夏にしか販売されない」アイスもありますので、好きな方は要チェックです。

そう、「うわこれ美味しい!」と気づいた瞬間、販売停止になる、そういった悲劇はいつでも起こりうるのですから…。


・イベントスチルが多い
水着! 浴衣! ワンピース! 突然の夕立ち! Yeah!


ごめん最後のがやりたかっただけなんだ。

気象予報士のお姉さんはすごいガードが硬いか、ノーガード戦法かの二極化しているという話

今年一番の暑さです、と一年に何度もニュース欄に文字が踊ることに違和感を覚えるのは、自分の日本語能力が乏しいからなのだろうか。


いやうんまぁ、気象予報士の皆さんの苦労は推して知るべしであろうとは思う。ここ近年の「異常気象」と呼ばれる事態に直面してなお、未来視の如き天気予報を行わなければならないのだから。

そういった状況だから、とりあえず昨日までの気温を超えそうだなーという段階で、今年一番の暑さです、という表現を使うのは至極当然のことなのかもしれない。別に嘘を言っているわけではないからだ。未来が不確定な以上、「昨日までの気温を上回る」可能性がある以上は、「今年一番の暑さ」になる可能性があるのである。あくまで予報だし、明日以降更に暑くなるかもだけど。という可能性を言外に含んでいるのだろう。そういった事情は理解できる。

今年一番の暑さ、という表現には、そういったニュアンスが含まれている。のだろうと思う。いや申し訳ない。ここまで書いといてなんだが、これは自分の推測なんで、全部を全部鵜呑みにしないでほしい。注釈が遅い。

問題は、だ。「今年一番の暑さ」といいう言葉尻を捕まえて、鵜呑みにして、「今日耐えられたならこの夏は大丈夫だろう」なんて思うやつがいるかも知れない、という話だ。

いるかも知れないなんていう仮定型ではなくて、実際にいたからこんな話をしているのだが、今の御時世、テレビも新聞もパソコンもなくて、情報入手はスマホだけ、しかもそのスマホソーシャルゲームとLINE専用機で、ニュースサイトとか全く見ない、みたいな人は結構いると思うのですよ。

そんなやつが、立ち話の雑談で「今年一番の暑さだってさー」みたいな言葉を聞き、それを真に受け、その日を基準に生活していたら、あっさりと今年一番の暑さが更新され、めでたく熱中症になった、という話である。

具体的には、エアコンの温度だったり、水分の補給量だったり、休憩のタイミングだったりというところだが、ちょっと考えれば、その日その日体調だって変わるわけだし、闇雲に「基準」を信じすぎるのは危険だってことは分かりそうなものだが、ちょっと考えるべき言葉ではあるよなぁと感じた次第である。

一端の社会人ならもう完全に自己責任、命に別状がなかったのがせめてもの救いではあるものの、熱中症になってしまった彼は順調に有給を病欠扱いで減らしていく。どうせ使う予定がないからちょうどよかったよはははと笑う彼は現代社会に毒されすぎていると思うのだが、一方で免疫力や判断力が低い子供もいるという事実。

「今年一番の暑さです」という言葉は、「今年一番の暑さとなる可能性があります」という言葉と同義である。というより、ニュースで美人の天気予報士さんが言っているのはまず間違いなく校舎の言葉だと思うのだが、人から人へ伝わる言葉は、かくも変化しやすいものであるということだ。

ちなみに、僕の最近の一押しの天気予報士さんは、松雪彩花(@ayaka196196)さんです。

かわいい。

 

 

お刺身についてくる醤油とわさびは逆に足りないという話

というわけで皆様、3ヶ月も更新が空いていました。あはは。


あははじぇねぇよ何してたんだこいつ、ツイッターには毎日のように顔出すくせに何サボってやがったんだこらというお叱りはごもっともでございます。ごもっともでございますが諸兄、そんなに毎日毎日面白いネタないもんですよ。面白いネタがなくても面白いものを作り出すのがクリエイターというものだとは思いますし、そもそも「うわこれ面白いかも」と思ったところでそれを文章に起こせない(起こしたら思ったより面白くない)自分の力量の無さを痛感する次第です。

仕事じゃないんだから、面白くなくてもどんどん更新すればいいんだという意見もあるんですが、仕事じゃないからこそ面白くもないことやりたくないという二律背反。おお、これが産みの苦しみというものか。

と、クリエイターの皆様に聞かれようものならデザインナイフで刺され、ペンタブで目潰し、キーボードで頭をかち割られた後でレジンとクレイとシリコンでガッチガチに固められそうなセリフを吐いたところで。

ちょっとね、部屋の模様替えをしたんですよ。

話題転換が急。180Rぐらいの直角カーブ。お話が下手にも程がある。「いい天気ですね、浄水器買いませんか」ぐらいのノリだ。販売員なら確実に底辺の営業成績のやつ。「それはそうと」ぐらいのつなぎを入れるべきであろう。

まぁここまでディスっといて平然と部屋の模様替えの話を始めるんですけど、部屋に物が多いんですよね。基本的に貧乏性なんで、ものを捨てるという行為が苦手なんですが、ものが多くなりすぎるとある日突然「イラッ」と来て、手当たり次第に捨てまくります。文章だけ見ると情緒不安定なやばい人になってしまうんですが、ありませんかそういうこと。

例えば冷蔵庫の中とか顕著なんですけど、「おっこれ試してみよう」と買った珍しい調味料、結局その時に使って「…いまいちやな」となって冷蔵庫の肥やしになっているものとか。誰しも心あたりがあるんじゃないでしょうか。後は餃子の王将で持ち帰り弁当のときにつけてくれるタレが余ったり。あれ確実に付けすぎですよねタレ。

そういった一切合財をまとめて捨てる。要するに「いやもう入れるところないからいらないもん捨てよう」という心理が働いているといえばそれはそれなんですが、やっぱり思いっきり捨てるとストレス解消になる。良い気分転換です。

ちなみに捨てるときに、捨てるものの取得価格を考えてはいけません。世の中には減価償却という考え方がございます。買ったときにはその値段でしょうが、捨てるときにはほぼほぼ残存価格は1円です。背もたれの調節機能が壊れた座椅子は、たしかにまだ使えるかもしれませんが、世間的に見れば粗大ゴミです。いいからコンビニで250円のシール買ってきて捨てなさい。

不思議なことに、収集癖はあるくせに。それを維持することには無頓着です。漫画や小説なんかも結構簡単に…と思ったんですが、捨てれずに友人宅にダンボールで置かしてもらってることを思い出しました。うん、捨てれないものは捨てれないですね。

ミニマニストになる気はサラサラありませんし、昨今の断捨離ブームに乗っかって何でもかんでも捨てろという気もありません。(というか、何でもかんでも捨てるという考え方自体はあんまり好きになれないので)しかし、気分転換に部屋の模様替え、不要な物の処分というものは有効だと思います。


という理論で、資格試験の一週間前に突如として始めた部屋の模様替えを正当化してみました。

もう、やってることも書いてることも学生時代からまったくもって行動が変わっていない。

 

新入社員時代にグーグルマップが友達だった話

仕事している風に見せる、というのは重要なことである。


世の学生諸君の中には、仕事というものを過剰に増大し評価している子が時々いて、フルタイムで正社員で働いている人間と、時給でバイトをしている人間を比べて天秤にかける子をたまに見かける。なんなら、「自分は短時間のバイトしかしてこなかったので…」とか言っちゃって、過度に自分を卑下してしまう子もいる。

そういう子を見るたびにおじさんは思うのである。「いや、短時間でしっかり仕事こなしてる君の方がよっぽど時間辺の仕事密度が高いと思うんだ」と。

要するに、人間フルタイムで働いたところで、集中してガリガリに仕事こなしている時間なんてたかが知れているという話である。1日イベントで運営を回しているような日は片時も気を抜けないなんてことも確かにあるが、机の前で延々パソコンいじってする仕事なんて、8時間コンスタントにパフォーマンス出し続けるなどという芸当は不可能である。こないだイベントで作ったペッパー君だって「ちょっと疲れたので座ってもいいですか」とつぶやいていた。いやまぁそれは「お前どうやって座るんだよその足で」というツッコミ待ちのプログラミングをした我が同僚の遊び心であるが、機械だって疲れるのだ。人間が疲れない道理がない。

それでも日本の労働基準法というヤツは平気で8時間労働を是とし、法令判例は「就業時間中は、労働に勤しまなければならない」といってタバコ休憩を否定するのである。

別に私は労働基準法に喧嘩を売りたいわけでも、判例に疑問を呈したいわけでもない。二つとも使い方次第では我ら末端の労働者を守ってくれるとても強い味方である。RPGで言えば、表記が「????」になっている未鑑定のチート武器だ。なにせ会社相手に問答無用でダメージを与えて勝利できる。鑑定・解呪(理解)しないと使用できない点まで似ている。

そんな労働者の味方が長時間ノンストップで集中して仕事せよなどと無理難題を突きつけるわけがない。となれば我らも社会人の端くれ。社会の荒波に揉まれ、一回りも二回りも成長した私達が出す答えは、「いいかバレないように適度に休憩せよ」ということである。

バレないようにという言葉に多少の語弊があるかもしれない。より正確に言うならば、「まわりの士気を下げないように休憩せよ」である。

仕事はチームワークだなんて言われて久しく、その主張には私も同意するのだが、仕事上のチームワークとは、往々にしてスタンドプレイの集合体であることが多い。要するに、「全員で一つの目標に向かって頑張るけど、自分の割り当てられた領域では、結果さえ出して回りに迷惑かけなきゃわりあい何してもオッケー」という本音がある。つまり、仕事していると個々人で進捗に差が生まれるし、やっていることがバラバラなわけで、「あっ、ちょっと暇だな」と思う人もいれば、「なんで電話取らねぇんだこのクソデブ、あたしは忙しいんだよ見てわかんだろ」といったような切羽詰まってる人もいるわけである。

ちょっと暇な人は、本当に今その時間ちょっと暇なだけであり、後2時間もすれば外出し、忙しくなる予定である。あたし忙しい人は、後30分の間に仕上げなければならない仕事があり、それが終わりさえすれば、とりあえず今日のノルマは終了、積んでいる仕事をゆったり片付ける予定である。まぁ仕事の総量自体はそんなに変わらないのだろうが、「今このとき」に限ればちょっと暇な人があからさまに休めば、あたし忙しい人は更にイライラし、生産性が下がるであろう。

だから必要なのである。適度に暇をつぶし、仕事しているように見せかけ、更に欲を言えば、何かしら自分にプラスになるような行為が。

明らかに暇をつぶすのがNGだということは上記に書いた。あんまり頻繁に席を外すのもサボってるのがわかるのでNGだ。会社のPCでネットサーフィンをするなど愚の骨頂である。証拠を残すという行為が時に命に関わるということを知らないうちはまだ社会人半人前である。かと言って自席でスマホをいじるのは、上司に肩を叩かれても致し方ない。

ということでこちらの記事である。

 


この春社会人になった新入社員諸君にはぜひ実践して、自分に合った方法を見つけていただきたいと思うのだが、個人的におすすめしないのは、延々コピペなどの生産性のないものである。真面目に精神を病む可能性があるのでおすすめしない。

まぁ、まっとうな会社であれば、マニュアルや業務に関する書籍を読むことにとやかく言う人間はいないと思うので、それで行くのがいいだろうと思う。特に就業規則等の規則系は要チェックだ。知っているのと知らないのではいざというときに打てる手段が違ってくる。

そう、いろいろなところで言われているが、自分の身は自分で守らなければならないのである。