ハコメガネマガジン

味噌ラーメンにコーンバターを認めない人もいる

「未来ラジオと人工鳩」をダイレクト・マーケティングするお話

<<<ネタバレ注意>>>
本日の戯言は、あるゲーム作品のネタバレを「若干」含んでいます。
プレイする上で楽しみを奪うレベルではなく、プレイしてみようかなと思っていただけるレベルでお話しているつもりですが、受け取り方に個人差はありますので、「ネタバレ is DIE」という過激派の方は本日のお話をスルーいただければ幸いです。

 


現代SFというジャンルがありまして。


自分の性格形成上、多大なる影響を及ぼし、度々ネタにもしている「イリヤの空、UFOの夏」を始めとして、ジェイムズ・ホーガンの「創造主の掟」、国内作家で言えば宮部みゆきの「龍は眠る」まで、現代~近未来を舞台として描かれるSF(ジャンル的にはミステリに分類されるものもある)が好きなのです。

ここでバルーンタウンの殺人を読んで、想像力豊であったがために嗜好が歪んでしまったYくんの話に言及してもそれはそれで面白いと思うのですが、本日はもうちょっと敷居を下げて、ゲームのお話です。

あ、ちなみにどういうふうに嗜好が歪んでしまったのか気になる方は、バルーンタウンの殺人のググってみたらよいかと思います。別に変な意味じゃなく、名作と呼ばれる一冊です。機会があればぜひ。

 

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素材の味を引き出すのに塩を使いがちだという話

お前は、カツオを食べたことがないのだと彼は言った。


んなわけない。

正味30年近く日本という国で食事をしてきて、鰹を食べたことがないというのはなかなか信じがたい。そりゃ、外国では違うのかもしれないが、ここは水産大国日本である。オクトパスだろうがデビルフィッシュだろうが、火を通せばなんだって食えるわな、何なら生のほうが美味いじゃないかと海の幸を食い尽くす国ジャパンである。タコは別に違和感ないんですが、ナマコとかホヤとかは割と抵抗がある人多いみたいですね。豊さんはナマコは食べれますがホヤは食べたことがありません。多分大丈夫だと思います。

で、冒頭の言葉なんですが、鰹は食べたことあります。というより昨日も食べました。夜9時にスーパーに行って見切り半額のシールが貼られた鰹のたたきをカゴに放り込みましたとも。美味しかったですよ。見切り品だろうがなんだろうが。鰹は美味しいですよ。という話をしたらですね。ものすごく可哀想なものを見る目で見られました。なんでだ。

曰く、「鮮度の落ちてる鰹は鰹ではない。なんか別のなにかだ」

別のなにかて。スーパーの鮮魚コーナーに謝れやと思う反面、なるほど、たしかに鮮度というものは重要であろう。彼のいうことも納得できる。

話を聞くと、本場高知の鰹はとんでもないと。明らかにレベルが違うと。食感から味から明らかにおかしいことになっていると。そうおっしゃるわけですよ。

本当に鮮度が良い刺し身やたたきは醤油やポン酢じゃなくて塩で食べる。出ましたよ塩。高級食材に添えられがちな岩塩ですよ。アルプスの山々で育ったピンク色の岩塩でいただくと甘みが際立つあれですよ。僕ら庶民には縁のない天上人が食されるあれですよ。畜生。ご飯に塩かけて食べとけばいいんだ。

と思ったら普通にアジシオらしいです。伯方の塩らしいです。マジでか。そんな庶民でも手の届く存在でいいのかと思うのですが、値段を聞いてみたらそんなに目ん玉飛び出る程でもない。少なくともホテルのレストランでA5ランク肉の鉄板焼きを4人前ぐらい食べられる値段。これは旅費を差し引いてもお釣りが来るのでは?

というわけで、今週末はサクッと一泊二日の高知遠征です。目的は鰹と皿鉢と餃子です。見事に食い倒れバンザーイ。

書いててお腹空いてきましたね…。

 

 

夏に夜空を見上げる話

9月になりました。


8月が終わってしまうと、夏が終わったように思えてしまうのは、よくよく考えれば不思議な事で、9月になったところで急激に暑さがなくなるわけでもなければ、制服が夏服から冬服へチェンジすることもなく。要するに「小中学生時代の夏休みが8月31日で終了する」というこのただ一点のみで夏が終わると認識しているのだろうと思うわけです。

小中学生と書いたのは、すでに僕が現役の高校生の時代では、8月31日を待たずに夏休みは終了していた実績があり、まぁ更に言うなら部活漬けだった日々を振り返れば、夏休みだろうがなんだろうがお構いなしに部活のために学校に行っていた記憶があるからです。今思えば完全オフの日が365日で元旦だけというのは明らかに常軌を逸していたような気がします。あまりのキツさに部活どころか学校までサボって遊びに行ったのも今となってはいい思い出ですが。あ、大学生はそもそも9月中旬まで休みですね。

話が少々ずれましたが、期間的な「夏の終わり」を多くの人が小学生の夏休みの終わりを基準として感じている、という話です。

もっとも、感覚的な「夏の終わり」というものはいろいろあって、例えば気温的な変化で肌寒くなるとか、旬の食べ物が変化してくるだとか、線香花火をやり収めるだとか、みんないろいろな部分で夏から秋への移り変わりを感じていると思うのです。ここらへんは、四季の国日本ならでは、といったところも大きいですよね。風流というか。

そう。夏の終わりは、本来は明確に決められるようなもんじゃないのです。

8月31日が終了して9月1日になって始業式になったところで、体育館のあの蒸すような暑さは変わらないし、苦し紛れに開け放たれた大扉の向こうに見えるグラウンドには陽炎が立ち上り、誰も望んじゃいないだろうに天高く登っていくその太陽はジリジリとグラウンドを、校舎を、そして体育館を焼いていく。一昔前に比べて数が減ったと思われるセミだって、ジワジワとその存在を声高らかに主張している。一体どこのどいつだ。8月31日に夏の暑さは終わりを迎えるから9月1日から普通に授業を始めるべきだなんていう根拠のない理論を振り回したのは。夏休みは日中暑いから集中力や効率が落ちるから休みにしようと始まったものではないのか。それならば休みの期間は気温によって決められるべきではないのかと中学生の頭は愚考する。ついでに言うならば先程から壇上で校長がたるんでるだの気合が足りないだの言っているが、たるんでるのは腹の肉で、気合が足りないのは毛根なんじゃないだろうかと、寝不足の頭で考える。怖いので誰のかは言わないが。いい加減このクソ暑い始業式は終わってくれないものだろうか。

 

UFOが飛ぶ夏は、今年ももうちょっと続くようです。

 

 

 

日向豊とぼっちゲーマーラプソディのお話

ゲームは、逃避であり、娯楽だ。


いえね、昨今e-スポーツだなんだと盛り上がってますので、バッサリとゲームを「逃避」だなんて言ってしまうと、色んな人から刺されかねないのですが、あくまで、個人としての見解、という形で聞いていただければと思うのです。

実は、先の言葉は自分が言ったわけではなくてですね、「ゲーマーズ!」という作品の主人公、天野景太が発した主張なわけです。多分初っ端の初っ端、学園アイドルで羨望の的、天道花憐が部長を務めるゲーム部に誘われ、それを断る際に、「自分がやりたいゲームはここにはない」という主旨で、そう言ったんです。

ま、フィクションだと言われればそれまでなのですが。割と豊さんには響いた言葉なわけですよ。

ゲームをする目的、って、大人になればなるほど考えてしまうものですよね。豊さんはそれなりに社会の目を気にしてしまう質なので、一人用のゲームをオフラインでひたすらする姿って、一般的に見ればあんまり好意的には見えないものです。

最近のゲームは、オンラインで友だちと遊んだり、顔も知らない誰かと競ったり協力したりといった仕様になっているものが多いように思います。昔もマルチタップと言って、一つのゲームで4人5人が対戦して遊ぶみたいなものはありましたが、今は100人で競い合って1人の勝者を決めるようなゲームもあります。

それ自体を否定する気はサラサラなく、自分だってランキングが表示されれば「もっと上に行ってやろう」とか、勝負で負けて悔しいと思うことも多々あります。

そう、他人とのコミュニケーションツールとして、ゲームを利用する。これはとても正しい図だと思うのです。

ゲームの中で強くなれば、他人から頼りにしてもらえる。ゲームの知識が豊富ならば、他人から尊敬してもらえる。顔がわからなくたって本名なんか知らなくたって、「友達」に会える場所がゲームの世界にはあるのです。これはとてもすごいことです。

それでも一方で、息苦しさを感じてしまう場面があるのも事実です。

気にしすぎだと言われればそれまでかもしれませんが、例えば「他人と協力しなければ手に入らないアイテム」や、「達成できないクエスト」なんていうのが割と苦手だったりします。

自分が手伝う立場なら、そんなことは思っていないことは分かるのですが、人はどうしてでしょうね。「強者に頼る」ことを遠慮してしまうことがあります。大なり小なり、覚えがある人も多いんじゃないでしょうか。変なプライド意識だと言われればそれまでなのですが。

後はそうですね、音ゲーなんかは、本質として「曲に合わせてリズムタップを楽しむ」ものだと思っているのですが、それが「スコア対戦」になってしまうことも多々あります。

違うんだ。僕はゲームがしたいだけで、他人に買って優越感に浸りたいわけではないのだ。と心の中でいつも思ってしまうのです。

そういった点では、ランキング勝負、だったり、ゴーストのような、ガワ(設定)は人だけど中身はコンピューターと対戦、みたいな状況はいくらか気が楽です。自分が勝っても恨まれないし、自分が負けても悔しさが相手に伝わらないし。

なんと言うんですかね。結局コミュニケーション下手なのがゲームやってる時にも発揮されちゃうんでしょうね。だから冒頭に上げたような、一人用ゲームを部屋にこもって黙々とやる、みたいなシチュエーションに心落ち着かせてしまうのです。

これまた無駄な悩みなんでしょうけど、「果たしてこれは正しい姿なのだろうか」と考えてしまう自分がいたんですよ。

いやもうゲームなんかしてる時に生産性なんか考えてもろくな結果にならない、というか明確な生産性なんかあるわけもないんですが、先に上げたコミュニケーションツールとしての有用性が確立されている以上、そういった使い方をしなければいけないんじゃないか。そんな事を考えてしまうのです。

ゲームをしていて、なかなかな長年の悩みだったのですが、先の言葉、ゲームは「逃避」であり、「娯楽」である、と。

いやぁ割と目から鱗が落ちる勢いでしたね。

「逃避」であるなんてバッサリ言ってしまうなんて割と勇気のある行為だと思うのですよ。自分の趣味をマイナスであると認めちゃってるわけですから。(フィクションですけどね)

でも、それが故に娯楽であると。競い合うのもゲームの姿の正しい姿であるけれど、それは自分には合わない。そう言う主人公の言葉がすごく印象に残りました。


という、「一人で黙々とやるゲームもよいよ!」というお話でした。

ちなみに、「ゲーマーズ!」ですが、原作ライトノベルの他に漫画、アニメにもなっております。

勘違いとすれ違いが織りなす青春群像劇で、ゲームのことがわからなくても笑えて楽しめると思います。

ちょっとでも興味があったらぜひ。

豊さんは、(賛否両論ありますが)いつまでもアニメ2期を待っています。

 

 

 

かき氷機を買った話

かきごおりにハマっている。


またいきなり昭和な話題から入ってきたなと思う諸兄と、こいつまたはやりの台湾スイーツ(笑)の話題を出して女子人気を得ようとしていると思う諸兄がいると思うのですが、どちらにしても諸兄(男)しかいないという点がポイントです。ポイントじゃねぇよ。

昨今、テレビでも何かと話題になっているふわとろ系かき氷。まぁ昨今といいつつ3年ぐらい前から台湾だなんだとブームが来ているようですが、ようやく我が家にもかき氷機が導入されたわけですよ。

あれですね。豊さん世間知らずも甚だしいのですが、いまかき氷機結構安くお買い求められるんですね。一万円ぐらいするんだろーとか思っていたら、安いもので2,000円。電動のものだって4,000円からあるんですね。ちょっとカルチャーショックでした。実家で小学校時代使っていたものは手動でもっと高かったように思うのですが、技術と生産力の向上とはかくも素晴らしいものなのか。

東急ハンズをブラブラしておりましたらそんな発見がございまして、この夏めでたくかき氷機を購入しましてですね。

 

 
なんと言うんですか、「ふわとろ氷」でしたか。

そんなものが幻想だと知りました。

いえ、幻想というか、できるんですよ? できるんですのよきめ細かい氷。自分の記憶にあるような舌の上でも若干の「固形」を主張してくるようなかき氷ではない、たしかに口に入れた瞬間に溶ける氷は作れますのよ。作れるんですが。

あの、シロップめっちゃ弾くのな。

オールきめ細かい氷で器に山盛り氷盛り。よっしゃ行くぜと言わんばかりに勢いよくいちごシロップをドバーッとかけて一面血の海(言い方)に染め上げた後、いざ実食とスプーンを入れた瞬間、血の色をそいだ瞬間現れる純白の白。

これね、考えりゃ何となく分かるんですけど、細かく削ってるもんだから、氷と氷の粒の間が少なくて、シロップが浸透しないんですね。粘度の高いシロップはなおさら。表面を土石流のごとく滑っていく。理科の実習にいかがですか。

これが思いの外テンションが下がってしまい、どうにかしてかき氷全体にシロップを行き渡らせることができないか試行錯誤。しかし、一番確実なのは、シロップかける→削る→シロップかける→削る…を延々繰り返して作成することぐらい。こんなの面倒すぎる。毎回やるなんて考えられない!

というわけで代案、そもそも味のついた氷を凍らせてかき氷にする。よくある氷いちごみたいな方法ですね。

いきなり果物を凍らせて削るというのもハードルが高いので、オレンジジュースとりんごジュースを凍らせてトライ。

結果。ベトベトになる。

いやまあ半分ぐらいは予想できてましたけどね。非常に口当たりの微妙な氷になりました。味は…やはり凍らせる(温度を下げる)と甘みが薄くなりますしね。個人的にはこれはかき氷ではなく別のなにかです。薄いシャーベットとかそういう感じ。

しかも。洗うのめっちゃ面倒くさい。純粋なる氷ならいいんですよ。氷なら。水ですから。極論使いっぱなしでほっといても蒸発するので問題全くナッシングなんですが、糖分が含まれた氷はそうはいかない。ベトベトオブベトベト。至るところがべとつく。

もうね、これがストレス以外の何物でもない。いちいち洗ってられるかぁーーー! と、一瞬でこの案は没になりました。別に凍らせていたぶどうジュースなんかはそのままかじった。

結局の所、昔のように粗めの氷で削って、氷の隙間を大きくしてシロップを流すのが一番無難だという結論に。なんとなくね、わかっていたのですよ。家庭用では限界があると。

というわけで、豊さん宅のかき氷機は、今日も今日とてゴリゴリと粒の大きい氷を削っています。

ふわふわが羨ましいわけじゃないもん。ちがうもん。