月刊ハコメガネマガジン

好物はカレー。

地方にそんなニッチな場があるとも思えないのだけども

なんというか、読書会ってのはこんなつまらないものなのかと嘆息した次第である。


そもそも「読書」というものは、基本的に閉じた世界だ。他人とのコミュニケーションは読書という行為の前か後にしかないのであって、そういった意味で、読書におけるコミュニケーションは、随分と限定的でハードルが高い。一般的には、読書の後になされるものが読書のコミュニケーションと呼ばれるからだ。

そしてハードルが高い所以。それは少なからず、「本を読む」という行為がコミュニケーションの前提として求められるからであろう。この「本を読む」という行為を苦手に感じている人は存外に多く、読んでもマンガ、携帯小説ぐらいだ、みたいな人が多い。別にマンガや携帯小説ラノベを読むことを「読書」じゃないと論じているわけでもなんでもなく、現にうちの本棚はマンガだらけだ。寝る前に30分ぐらい何も考えずにマンガを読むのは私の日課でもある。

話がそれた。要するに、活字の羅列を読み進めることが苦手だ、苦痛だ、と思う人が多いという話だ。一方で活字中毒なんて呼ばれている人が一定数いることを考えると、もはや読書は煙草や酒と同じレベルの嗜好品だと言えるのかもしれない。抜け出せなくなったり、のめり込みすぎると周囲にそれなりに迷惑をかける所も似ている。

まぁこれは私の一方的なイメージ・思い込みでもあるから、万人に納得される話でもないことは理解できる。だが、仮にも「読書会」と銘打って、書評を議論する場であると聞かされれば、一体どんな猛者たちが跳梁跋扈しているのかわくわくしながらそこに足を踏み入れるのは、別に間違っちゃいないだろうと思うのだ。しかも書評がメインではなく、読書がメインの読書会である。このご時世にこんなにレトロで盲目的な趣味の世界があるだろうかと期待に胸を膨らませたのだ。

が。

蓋を開けてみれば何の事はない。本は本でも私が期待するような本ではなかった。それだけの話だ。

いや、わかっている。先に上げたように「本」という定義は実に曖昧なものである。漫画も小説も絵本も、なんだって等しく本である。そう、その心づもりは持っていた。別に自分のあまり読まないジャンルの話で花が咲こうと、知見を広げると思えば別に構わない。そう思っていた。

しかしまぁ。

「読書会」で自己啓発本の持ち寄り回し読みはいかがなものかと思うのである。

いやもう書評がどうの、知見がどうのという話ではない。「こういうことが書いてありますどうぞ読んでみて下さい」それは何だ。表紙2と4となんなら帯に書いてあることそのまま読んでるだけじゃないのか。「へぇこんな本が出てるんですね」ぱらぱらぱら。あなたのその行為は書店で平積みされてる本を眺めているのと一体何が変わるんでしょうか。

別にドグラ・マグラについての考察やカフカの暗喩についての話をしたいとか言うつもりもないのだが、せめて自己啓発なら自己啓発で取り扱ったテーマの反証類似の話だとか、経験から来るものだとか、そこらへんの話があってしかるべきだとは思うのだ。しかも回し読みて。金をかけない意識改革は往々にして身につかないものである。

全てを否定する気はないのだけども。

何処かに家畜人ヤプーの世界観について3時間ぐらい議論できる場はないものだろうかと思ったりもするのだ。