月刊ハコメガネマガジン

好物はカレー。

ダンボールの隙間になら夢をいっぱい詰め込めるという話

先日私の家に妹が家飲みをしに来て一言。

ダンボールが多い!」

そんな見たまんまのことを言われても仕方ないのだが、なるほど、確かにゴミ出しをサボっていた関係もあって、ダンボールが溜まっていた。ダンボール置き場と決めている一角から溢れ出していたのだ。

そもそも一人暮らしの常で、また、PCを生業にしているものの性か、私は通販を多用する。最近はそうでも無くなったが、基本的に通販は過剰包装だ。商品を守るためには仕方のないことであるということは理解できるし、そこに対して特に文句があるわけではない。ダンボールをゴミ出していないのは10:0で私が悪い。

「もう、さっさと捨てなよ、なにこれコレクションしてるの?」

なかなか大層な嫌味をかましてくるのだが、私は知っている。貴様の家とて酒の空き缶と空き瓶で90Lのビニール袋が1ヶ月も立たずに満杯になるではないか。ダメ人間度としては絶対にソッチのほうが上だろう。いま目くそ鼻くそと心のなかで思った人は廊下に立っていなさい。

しかし、冷静に考えてみてはどうだろうか。

ダンボールは役に立つ。荷物整理にも役立つし、増えすぎた本を買い取ってもらうために、本屋に送るのにも使える。実家に送るのにも使える。防寒にだって役立つし、使い方によってはテント代わりにもなる。そういった意味ではコレクションしているとまでは行かずとも、とりあえずストックしておくというのはなかなかに「アリ」なのではないかと思うのだ。

という主張を理路整然と展開、素直に「はい捨てます」と言えばいいものを、長ったらしく言い訳したところ、普通の人間であれば「もういいからはよまとめて捨てろ」と一言の元に切って捨てられるのですが、血なのでしょうか育ってきた環境なのでしょうか「ほうなるほど」と腕を組みどっかりと腰を落ち着けて私の話に耳を傾ける女性は我が妹。さすがたマイシスター。まぁ飲め。

そして二人してダンボールの可能性について議論し始めたのだが、やはりダンボールは無限大である。

ダンボールの様々な利用用途から、今流行のダンボール家具の話になり、中心の波型構造で強度を出している点にロマンを感じるだとか、ハニカム構造のダンボールは可愛さすら感じるだとかの話に。もう自分でもよくわからない。何言ってんでしょう我々は。

最終的に「わかったもう「ダンボール、愛しています」っていうドラマ作ろう。ほら、あの男の子もしゃべらないから、ダンボールでも代役できるんじゃない!?」とか言っておった。なにをどう「わかった」のか。あの温厚な江口洋介に殴られかねない。我ながらとんでもない地点に最終着地を決めてしまった。

言い過ぎであることは重々承知はしているが、ダンボールという存在が、人類にとって重要な役割を担っていることは、諸兄の知るところであり、紛れも無い事実である。

ともすれば忘れがちなその影の実力者を、今一度見なおしてみるのも、一興であろうと私は思う。


…でもやっぱりそんなあっても邪魔なので、今日紐でくくって出しました。

リサイクル、できますし。