月刊ハコメガネマガジン

好物はカレー。

クビシメサイクル

真綿で首を締める、という言葉がありまして。

自分自身も結構長い間誤解していたのですが、ここで言う「真綿」はコットンではなく、シルクの意味合いで使われるんですね。要するに絹。これ知ったのは成人してからだったように記憶しています。

あのふわふわもこもこした綿を想像して、「随分回りくどいやり方だよなぁ」というイメージを持っている人が大多数で、まぁ言葉の意味としても「遠回しにじわじわ責めたり、痛めつけることのたとえ」という意味合いだから、あながち間違っていはいないのですが、コットンとシルクでは危険度が違います。

実際問題、コットンで首を締めて人を殺すことはかなり難易度が高いでしょう。撚りに撚って糸のようにして、それで締めるなら可能でしょうが、それはもう既にコットンと呼べる代物なのかが謎です。

その点シルクは危ない。殺意が明確に現れている。いくら肌触りが良くてなめらかだと言っても、その殺傷能力に疑いはなく、シルクのネクタイで首が締まったなんていう話は枚挙にいとまがないわけです。

要するに自分が言いたいのは、「真綿で首を絞められている」という状況は、慣用句の意味としてはさておき、笑って流せるようなレベルではなく、割と本気で命の危機を感じるべき事態なのだということです。

だから、あるコンテンツについて、真綿で首が締まっているような状況、なんて表現がされるならば、それは何かしらのカンフル剤が必要な事態であって、根性論でなんとかなるような事態ではないことが明白なわけです。

こういう話をすると、皆さん思い浮かべるところは異なり、それぞれが色々なコンテンツを想像されるのですが、諸行無常、盛者必衰は人間の本能以外には適用されてしまい、今どれだけ隆盛していたとしても、やがては衰退、代替わりしていくものです。

それは避けられない事実として人間社会に横たわっているわけですが、コンテンツが続いていく(そのものの寿命であれ、代替わりへの引き継ぎであれ)ために必要なのは、やはり新しいユーザーの獲得なわけです。

こと娯楽においては、その動きが顕著であると言えるでしょう。その昔苦汁をなめた猛者たちは、口を揃えて「新規は大事」と斉唱します。

ここのあたりで自分なんかの限界オタクは、思い当たることが多すぎて胸を掻きむしって死に至ることもままあるのですが、新規の流入は薬でもあり毒なのです。それこそ、コンテンツに影響を与えるほどの。言うても商売ですからね。ビジネスですビジネス。

新規が古参を駆逐する、なんてありふれた光景なんですよね。それが悪いことだとは決して思わないのです。続けていくためには変化しなければいけない。それはユーザーもコンテンツも等しく逃れられない理だと思います。

けど、当人たちからしてみたらたまったもんでないのも事実。だから、度々論争になるわけですね。で、結果衰退してしまうコンテンツもあると。諸行無常とはまさにこのこと。

理詰めしてしまえば、そのコンテンツがコンスタントに利益を挙げれるならば、今いるユーザーが変わらずお金を落としてくれるのならば。別に新規ユーザーは居なくても成り立つのです。ただし、そんなビジネスモデルは存在しない。現状維持するためにも、必要経費は右肩上がりになるものです。周りの環境もどんどん変化していく中、「今まで通りやっていればいい」なんていうのは、まさに真綿で首を自分から締めているようなものなのです。

まぁ結局の所何が言いたいかと言うとですね。新しいこと始めるのに躊躇わないでほしいってことなんです。特にその理由が「このイベントに参加するには自分よりもっとふさわしい人がいるんじゃないか」という理由はマジで勘弁してほしい。ぶっちゃけた話、「イベントに参加できる余地」が残っているならば、是非参加してほしいと思うのです。本当に後がないそれこそ解散コンサートとかなら、話は別かもしれませんが、それで「新しいこと始める」とはならないでしょう。

遠慮は最大の敵です。他に理由があるならいいのです。興味あるって言ったけど、それその場の勢いだしいざやるってなったら面倒くさい。大いに結構。それはあなたに魅力を伝えきれなかったプレゼンターが悪い。あなたはなんにも悪くない。

だけど、「他にふさわしい人がいるから」。これ。これだけは勘弁してください。

いま興味を持ったあなた以上にふさわしい人は居ないんですよ。

 

と、マイノリティ沼から住人はいつも空を見上げているのです。