月刊ハコメガネマガジン

好物はカレー。

人と違ったものを持っているということは決して羨ましいことではないという話

リコーダーという楽器がある。


昨今の小学校事情はよく知らないのだが、少なくとも私が小学校の時分は、音楽の授業で扱う楽器はリコーダーだったため、児童全員がもれなくリコーダーを持っていた。

こういった、「授業に使う道具」シリーズの最大の問題は、それがないと授業に参加できず、45分間もの間立ち尽くすことしかできなくなる点だ。体操服然り水着然り、絵の具然り書道道具然り。忘れ物を防止する「明日の準備」という言葉を学ぶこと、それが小学校における大きな役割の一つであることは想像に難くない。

しかし、人間は考え、進化し、そして裕福になると蓄えを作る生き物である。小学校も中学年ぐらいになるとこう考える輩が出てくる。いくら明日の準備をしたとしても、その時点で忘れていたら意味がない。そもそも、先生が言う「明日持って来い」を聞き逃す可能性だってあるではないか。そのリスクを最小限に留めるには、一体どうするべきだろうか。

答えは簡単である。学校に置いておけばいいのだ。

小学生の知恵ながら、真理をついてはいる。学校側に保管のスペースが確保できるならば、使う→その日のうちに洗濯なり洗うなりする→翌日持ってくるの工程を踏むことで、忘れ物という致命的なエラーを回避することができる。

ただまあ、このあたりが小学生の限界とも言えるべき部分で、使う→洗濯や洗浄の部分で早くも挫折する。要するに使った後、筆を洗うのが面倒なのである。冷静に考えると、使った後洗うという行為は至極まっとうで普通の行為なのだが、自分の考えついた方法に酔いしれている小学生は、そこから「とりあえず学校にあれば忘れたことにならない」と論理を飛躍させ、結果的に洗っていない道具たちが学校に放置されるという事態を招くのだ。

大人になった今であれば、「洗ってなければ使えないから忘れるのと大差ないのでは」と思うのだが、小学生にしてみれば、「持ってきてない(=忘れる)ために先生に叱られる」を回避できるだけでいいのである。結局授業に参加できないので怒られる上に本人のマイナスにしかならないのであるが。

話がそれた。要するに小学校の道具というのは、基本的に使ったら持って帰り、また授業で使う際に持ってくるものだという話だ。

だが、この括りに当てはまらない道具が存在する。そう、冒頭のリコーダーである。

私個人の話で言えば、リコーダーという存在が壊滅的に苦手で、友人たちが「宇宙戦艦ヤマト」や「チャルメラ」の音楽を得意げに演奏している中で、ひたすら「カエルの歌」を演奏しているという今思い出しても頭が痛くなる思い出があるのですが、それはそれとして、このリコーダー、使っても別に持って帰る必要がない。

たまにある音楽のテストでリコーダーを演奏しなければならないという全く合格できる気がしないテスト前に家に持って帰って練習するとき以外は、基本的に学校に置きっぱなしである。ちなみに私は持って帰ってリコーダーを練習していたら、親から「夜に笛を吹くと蛇が出るから止めなさい」とお叱りを受け、家での練習が禁止された。上手くなるわけがない。八方塞がりである。

私個人としては、あまりいい思い出がないリコーダーではあるが、女の子のリコーダーを云々という話はよく聞く。リコーダーは構造上三分割することができるため、一番上の、要するに口をつけて吹く部分を自分のものと取り替えてしまうという大変悪質ないたずらと言うよりは、凸レンズもびっくりな屈折率を誇る歪んだ性欲の対象にされてしまったという話だ。

小学校では全員同じリコーダーを購入するので、何か目印でもない限り、わからないのだ。

聞いた話では、クラスの一番人気の女の子のリコーダーを狙って、クラス中の男子がそのイタズラを決行、が、もちろん本物は一本だけであり、結果としてクラス中の男子が男同士で間接キス大会。地獄絵図と化したこともあるらしい。

うちの小学校では、リコーダーの中にラブレターを入れて告白すると絶対に叶うなどという、どの部分の頭のネジが弾け飛んだらそういう発想が出てくるかわからない与太話がクラスを圧巻したこともあり、このリコーダー問題は大なり小なり小学校で問題になることが多いという話。

まぁ。

私の場合、小学校を二回転校したこともあり。

みんながわーきゃー言っている最中で、一人デザインの違うリコーダーを手にカエルの歌を演奏していたのですが。


…別に寂しくないもの。