月刊ハコメガネマガジン

好物はカレー。

引き出物の皿が重いという話

結婚式ラッシュが一段落した。


男は大体28~30にかけて、女は20代中盤にかけて、まあ俗にいう結婚式ラッシュというものが来る。

年齢的なものは世代によっては多少前後するだろうし、自分の前の職場の豪気なやつは「20でデキ婚よ、ガハハ」とかのたまってたし、このご時世に子どもたくさん産んで育ててくれていて、独身の身としては「おーがんばってるなー」と至極まっとうな感想を抱いていた。何事にも例外はあるものである。

自分もあまり社会的な人付き合いをしているとも思わないのだが、何の因果か結婚式に呼ばれることがよくありまして、ご多分に漏れずご祝儀貧乏、引き出物をもらうたびに一人暮らしの家の食器が増えていく。カタログギフトはもはやもらうものがなく、重たい皿は翌日帰る段になって厄介者へと姿を変える。もはや最近は礼服も引き出物もごっちゃにしてコンビニから宅配便で送るという開き直りを呈しており、割れ物が割れればそれはそこまでの運命…などとニヒルに笑ってみるものの、未だ割れた試しはない。日本の宅配業者はかくも優秀である。

引き出物。あんまりこの言葉を聞いて「うわこれ欲しかったんだよやったー!」とならないのは世の常人の常であろう。参加者の最大公約数は、最大公約数でしかない。一人ひとりに合わせるなどということはできようはずもないのだ。

まあ、この考え自体がおかしいことなのは自明の理だ。引き出物の主体はもらう側にあらず。差し出す側の「気持ち」であるが故に。だがややこしいのはそこに日本人的OMOTENASHIの心がぬるりと入ってきてしまう点と、受け取る側にOMOTENASHIされる心があぐらを組んで鎮座している点である。

祝いの席だから、そういったビジネスライクな生々しいところは暗黙の了解で、そこはかとない空気を読んだ結果が微妙な引き出物になるのであろう。みんなそんなもんだという魔法の共有意識がその根底には流れている。

その点、先に上げたカタログギフトなんて言うのは貰いたいものもらいなさいよと商品選択を相手に丸投げしている点で、個人的には好きである。飯を食わない人間はおらず、料理ができない人間はいても湯を沸かせない人間はいないだろう。カタログギフトで即席味噌汁を頼めばよい。

問題はその頼む手間と持ち帰るカタログの重さぐらいではあるが、重さについては重い皿を持って帰るのとそう代わりはあるまい。

うむやはり無難なのではないだろうかカタログギフト。


まあ。自分は何ももらわないのが一番助かるのであるが。お祝いの返礼、プライスレス。

 怒らないから。豊さんだけ披露宴の会場に手提げ袋がなくても怒らないから!