月刊ハコメガネマガジン

好物はカレー。

豊の華麗なる休日の話

家を整理していたら、DVDがゴロゴロと出てきて、なんだろうと思って見てみたら、昔懐かし「トリビアの泉」だった。というわけで本日は一日トリビアの泉を見ていながらの生活であった。

私は気に入ったバラエティを繰り返しみるという習性があり、それの代表格が「水曜どうでしょう」なのだが、この「トリビアの泉」もかなり好きな番組だった。

今見返してみると、まぁ豪華な予算を使ってるものだと感心する。今のバラエティではこうは行くまい。景気というものを実感することができる。

最初の頃こそああ懐かしいなと思いながらゲラゲラ見ていたのだが、次第に「おいこんなところで!?」「こんなの作ったのかよ!」と一人でつぶやきながら見るハメになる。

一つのトリビアを検証するために大企業や観光地、果ては自治体や国をまたいでの仕事をしている。しかもソレをメインとして使うわけではなく、しれっと他のものと混ぜて紹介している点がすごい。今では考えられない。かけてる予算と配分がおかしいというか、番組のプロデューサーの好きに作ってる感がすごい。素人意見だが。

権威ある人にブラックジョークを本気でぶつけていくのも最近ではあまりみないネタだが、この番組では多用している。ゲジゲジの話をする大学教授の眉に何度もズームを繰り返すのは悪意の塊でしか無いだろう。

しかし、この番組に流れる空気感が、決定的に今のバラエティと違うのはそういった点もあるにはあるが、他にも大きく違う点がある気がする。

しばらくジーっと番組を見続けていて答えが出た。

 

お笑い芸人の存在である。

当時はそこまでお笑い芸人が台頭するということがなかったはずだ。見ていればゲストはグラビアアイドルやタレント、俳優女優と言った面々が並ぶ。ビビる大木をお笑い芸人と呼ぶにはどうかという点はあるものの、あくまでこの番組は、MCとVTRでゲストと視聴者を笑わせるスタンスであることが分かる。

現在のバラエティは、ゲストや出演者に必ずと言っていいほどお笑い芸人が絡んでくることが多い。そこを含めて番組として成り立たせ、あくまで笑わせるのは視聴者だけである。その距離感が違和感の原因だったのだ。

なるほど、時代が変わるとこういうスタンスの違いが出てくるのかと一人納得して、胸のつかえが取れたように番組を楽しんでいたのだが、気がつけば夜の9時を回っていた。

ご飯も食べずに朝から見続けて気がつけば9時。まさかの事態に自分で自分が信じられずしばらく唖然としていた。今日やるはずだった洗濯と資格の勉強と仕事の準備をやる時間は最早残されていない。

まあ、こうしていても問題は解決しないなと、気持ちを切り替えて行動することにする。

まずはコンビニに行って飯だ。その後、巨大ペッタン人形のトリビアを見よう。

 

私の優雅な休日は、こうして過ぎてゆく。