お蕎麦に対して距離感を感じる話
蕎麦に馴染みがない。
お前一回自分のブログの題名を読み返してみろよと言われんばかりのカミングアウトだが、蕎麦の文化圏ではないので仕方ない。西日本、中でも広島あたりは完全にうどん圏である。そんな言葉あるのかは知らない。
うどんの中でも大多数はさぬきうどんであり、コシこそが全て。エッジの立ってないうどんはうどんにあらず、と博多や伊勢の人に真向から喧嘩を売るスタイルの蔓延り様だ。柔らかいうどんなんてぎりぎり鍋の締めに許せるかどうかという人が多い気がする。
私自身もうどんか蕎麦の二択を迫られた時にほぼうどんを選択する。というか、広島の地において外食するとなると、蕎麦という選択肢がほぼない。蕎麦屋がないのだ。だから、全国放送で富士そばなんかが写って話題に上がったりしても「??」となっていることが多い。同士はたくさんいるはずだ。
そんな環境で育っているから、未だに蕎麦の正しい食べ方がわからない。つゆに全部つけちゃダメだとか、わさびはつゆに溶かずに蕎麦そのものにつけるべきだとか。お作法というものがイマイチ不明なのだ。誰も教えてくれなかったし、先日聞いたら先輩も同期もよくわかっていなかった。「だって食べないし」というのは同期の談であるが、まったくもって同意する。
そして一番わからないのは、「蕎麦湯」の存在である。
ちょっといいところの蕎麦を食べに行った時である。味と作法がわからないなりに美味しい美味しいと食べていたのですが、終わり際に出てきたよくわからない急須。一瞬お茶かと思いましたが違う。これが噂の…!
「おい、なんか出てきたぞ」
「蕎麦湯ってやつだよ知らねーのか(多分こいつも知らない」
「聞いたことはあるけどどうするんだよこれ」
「いやそりゃお前…飲むんだろ」
「…どうやって」
「…どうやってだろう…」
まったくもってわからない。周りのお客さんを見ても、そばちょこの中に入れてる人もいれば、湯のみに入れてそのまま飲んでる人もいる。いや、何が正解、どうやるのが正解なんだ!?
結局その時はつゆを割って飲んだんですが、後から調べてもいまいち正解なのかよくわからない。まぁ飲むものなんで飲めればどう飲んでもかまやしないんでしょうが。なんとなくモヤッとしたことを覚えている。
大人になって知らないことがあると恥をかく、と言うつもりはありませんが、経験はしておくものだよなぁとこの歳になって思います。
どんなことでも、「やったことがある」というのと、「知っている」というのでは、やはり大きな隔たりがあるのだと。
ベストは知った上でで実践してみることなんですが。
まだまだ世界は広いなと思うわけです。
「おい蕎麦湯なんかおいしくね? おかわりもらえるのかなこれ!」
…おかわりをもらう類のものではないことは、わかる。