月刊ハコメガネマガジン

好物はカレー。

焼酎の梅干し割もなかなか美味しいという話

いつの間にか好きなものが変化するというのはままあることである。

流行り廃りもあるだろうし、知識が増え、見聞が広がり、「一番好きなもの」が変わることもあるだろう。恋愛から食べ物に至るまで、人の好みは千差万別、それが個性というものだからだ。

そんな中でも、食べ物に関しての好みの移り変わりというものは、誰しもが経験したことのあるものではないかと思う。

もちろん私もそうだ。変わった好みはいろいろあるが、中でも顕著なのが「酸味」についての変化だ。

酸味の代表格といえば、梅干しやレモンがあげられるが、例によって私はこの2つが昔から苦手だった。…レモンについては果物として食べることは殆ど無いのだが、梅干しは別だ。弁当には必ず入っているし、私の母は油断するとすぐに梅肉を使いたがる梅肉狂だったのだ。

かくして、味覚が幼い幼稚園から小学生にかけて、梅干しというものが鬼門となった。この呪縛は大学生まで続き、私を苦しめることとなる。いや別に口に突っ込まれるとか虐待まがいの強要はされていないので、苦しんでいたわけではないが。食べれないわけではないし。

それが変化したのは社会人になってからだった。お中元にもらった高級梅干しを「流石に食わない訳にはいかない…」と覚悟を決めて口にした時、私の世界は変わった。

甘さとも取れるレベルのまろやかな酸味、刺すような刺激などどこにもなく、ぬるま湯のような心地良い味。たまげた。これが梅干しだというのか。口の中に入れて舌で押せば、なめらかに果肉が溶けてゆく。何なのだこれは。これは梅干しなのか。

幼少期の頃から梅干しに関する知識が止まっていた私の中の梅干しは、まごうことなき「スッパイマン」であり、ほか弁の俵おにぎり風ご飯の中央に鎮座する赤いポッチであり、周囲の白米を赤く染める猟奇殺人者のような梅干しだ。それが何だ、少し高級になったぐらいで自分の本質を見失い、ふにゃふにゃに不抜けるなどとは。なっとらん。

頑固親父のようなことをいいながら、だがしかし箸は止まらない。うまいうまいと語彙力の欠落した感想を述べながら、口へ運ぶのであった。

このことがあってから、梅干しに対する見方が少し変わった。酸っぱいだけの梅干しだけではないし、カツオ節やはちみつで味を整えている梅干しもある。というか、スーパーなんかの品揃えを見ていると、それが主流になっているように感じる。

以来、梅干しに対するイメージが変革し、むしろ「酸っぱい」ものが好きにすらなってきたのだ。

きっかけは色々あると思うが、食べ物の好き嫌いにかぎらず「この一回がダメだったから」という理由で全てを毛嫌いしてしまうのは、少しもったいない気がするのだ。何回も裏切られていたり、ここぞというところで失敗するようなら見切りをつけたほうがいいと思うが。

だから。

お酒が「飲めない」と思っている人も。

たまには手を変え品を変え。

チャレンジして欲しいと思うのです。


という話を酒の席でバーボンを片手に語ったら、「長い」と一蹴された。世知辛い世の中である。