月刊ハコメガネマガジン

好物はカレー。

繰り返される日々に油断してはならないという話

この日常は、繰り返している。


いきなりループものの小説を書き始めたわけではない。自分自身がエンドレスエイトな状態に陥ったわけでもない。そういえば季節といえば季節ですね。エンドレスエイト。今の若い人にはわからないと言われてショックだったのですが。

ルーティーンの話です。…ああダメだ。サブイボが立つ。何だ、ルーティーンって。ルーティンもなんか違う。ルーチンがしっくり来る。ルーチンだよ、ルーチン。お前今そんな外国かぶれしたら将来黒歴史になるよ、結婚式とかでサプライズされて死にたくなるよと忠告してやりたい。

何でしょうね。五郎丸さんのあたりからですかね。彼が外国かぶれし始めたのは。もっとこう、田舎っぽくてもいいと思う。都会に染まればいいってもんじゃない。古き好きイモっぽさが逆に魅力を高めてくれると、これは一体何の話だ。

ああ、ルーチンワークの話でしたね。ええ。知ってましたとも。

現代において、特に社会人において日常の中での変革事など殆ど無くて、それこそ月曜から金曜まで規則正しく同じことを繰り返す。何なら土曜日曜だって代わり映えのない生活を送っている人が山程いる。別にそれはバカにしているわけでも、責めているわけでもない。現に私とてその一人だ。流石に土日はそれなりに行動パターンがあるが。

朝起きて、身支度して、自転車で駅まで行って、駅から電車で仕事場に向かう。仕事して、飯食って、仕事して、帰って、飯食って、寝る。なんとわかりやすく社畜生活を送っているのか。たまに仕事して、飯食って、仕事して、飯食って、仕事して…と壊れたレィディオの様になる。いや、壊れているのは私である。

行動の繰り返しをしているということは、ある意味で行動が最適化されているということでもある。最適化自体は悪いことではない。むしろ推奨してしかるべきだ。時間が短縮できれば、それだけルーチンワークから抜け出せるからだ。

さて、そんなルーティーンの話だが、あまり最適化し過ぎると少々困ったことになる。

先日、先に帰った同期の人間が、まだ仕事で帰れない私に電話をかけてきた時のことだ。

「今家に帰ったんだけどさ。バイクが盗まれた」
「…マジでか。駐輪場にないの?」
「ない。ごついロックごと無くなってる」

私も見たことがあるが、ロックごと持っていくとはなかなかに剛毅な話だ。

「とりあえず警察に電話したら? 現場荒らさずに」

とアドバイスをしたのだが、やはり気になる。早々に仕事を切り上げ、電話しようとした視線の先、ビルから出た向かいのバイク置き場に、そやつのバイクが鎮座しておられた。

「……」

一瞬訳がわからなかった。

とりあえず近づいて見てみると、しっかりロックもしてあり、何の異常もない、普通に駐車している。なるほど。謎は全て解けた。

「もしもし?」
「あ、今さ、警察来てさ、いろいろ話してる途中だから、」
「お前今日バイクで会社来たんじゃねぇの?」
「……」

電話の向こうで、時が止まった。

「すまん、ちょっと後電話するわ」

普段バス通勤をルーチン化していると、無意識下で行動をなぞってしまう。朝遅刻しそうになって間違いなくバイクで来たはずなのに、無意識のうちにバスで帰って家の前まで来て「…バイクが、ない…!?」となってしまう。危険である、とんでもなく危険だ。皆さんも気をつけていただきたい。

まあ今回のことで、一番迷惑を被ったのは、間違いなく警察の方である。

うちの同期が、申し訳ございません。