月刊ハコメガネマガジン

好物はカレー。

夢中になると物事が一切見えなくなるという話

ペットショップについて語ろうと思う。

命あるものをどうこう、ペットとしての意義がどうこう、動物保護団体がどうこうという話は書く気がない。というか、こんな毒にも薬にもならない、己が主張なんてあろうはずがないのんべんだらりと日々を書きなぐってる日記で扱って良い話題ではないだろう。命の尊さとスタバのおしゃれ具合についての思案を同列に並べるのはいささか無理がある。

ペット厳禁、入居する時に熱帯魚やハムスターすらダメと念押しされて、この大家さんはネズミに耳でもかじられたんだろうか、いや別に欠けてないよな、したらば前世かと考えこんだ次第で、すなわち今の私にはペットを飼う環境が微塵もないわけだ。大家さん側からすれば「なんでこいつは耳ばかり見ているんだろう」と不思議に思ったかもしれない。まさか自分が猫型ロボット疑惑をかけられているとは夢にも思わなかっただろう。

そんな慈悲もない部屋に住んでいる私が、ペットショップに何をしに行くかと言われれば、展示されている動物たちを見に行くのだ。わざわざ言うまでもない。

そういう意味では、私の中でペットショップ=動物園であるという、極めて自分勝手な公式が出来上がるのだが、あながち間違っちゃいない。しかも動物園より魅力的だ。動物園は何故猫やうさぎを展示しないのだろうといつも思う。その気になれば飼えるからとか珍しく無いからとかではなく、例えば猫を放し飼いにしている猫ハウスとかいう施設があればそれだけで集客が狙えるではないか。昨今の猫カフェ人気を舐めてはならない。動物園には是非採用を検討をしてほしい次第である。

話がそれた。要するにペットショップに行くのは、私が癒されに行くためなのだ。

先に出たような猫カフェでも良い。だが、野武士のような大男一人が猫カフェに突入する訳にはいかない。あそこは空間そのものが可愛くなくてはならない。というか単純に二の足を踏んでしまう。そりゃペットショップのショーケースの前に30分も居座るのもどうかという話ではあるのだが、猫カフェはアウトでペットショップはセーフというのが、私が30年生きてきて出した最適解だ。

正直猫動画などにはさほど興味がわかないのだが、目の前で実物の猫がゴロゴロしているのはもうなんというかたまらない。ずっと見ていられる。ペットショップで猫を見ている時も「仏頂面過ぎる」と評されるのだが、それは口に出さないようにしているだけで、頭の中では3秒に一回ぐらい「かわいい」と言っている。あーちくしょうなんでこんな寝顔なんだかわいいな、あっいま鼻ひくひくさせたかわいい髭もぴょんぴょんしてるかわいい! てなもんである。髭と一緒に私の心もぴょんぴょんする。

そんな感じでショーケースにべったり張り付いているもんだから、親しい友人にすら引かれている感がある。というか家族にすら引かれる。「こいつ本当にやばいんじゃないのか」と聞こえるように言われたことすらある。失敬な。

が、親しい人間ですらそう思ってしまうということは、周りの人間も同様に感じている可能性があるということだ。猫は知らんが。というか猫は何も考えてないように思う。でなければ、10分も15分も一心不乱にネズミのおもちゃを追いかけまわさないだろう。人間たちの視線など気にならないと言わんばかりに、モノ言わぬネズミのおもちゃを追いかけ回す。かと思えば、追いかけている最中に目に入ったトンボのおもちゃに食いつくのだ。まさにその場の感性で生きている。

そんな猫たちを眺めていて何が飽きるのかと思うのだが、周囲にあまり迷惑をかけても悪い。いいところで切り上げて別の動物を見に行くのだ。

さて、ペットショップと言っても、扱っている動物は多種多様だ。メジャーなところで言えば犬猫熱帯魚、ちょっと大きくなるとインコやうさぎにハムスター、フェレットや爬虫類を扱うところもある。

私のお気に入りといえば、まぁまず猫なのだが、その次に大型犬、うさぎ、ハムスターと続く。典型的なヤツだ。

だから、猫の前かにずっといることを禁止されると、別の動物を見てぐるぐる回る。結果、猫の前だけなら30分で済むものを、他の動物を見ながらまた猫の前に舞い戻り…を繰り返すと、あっという間に1時間なり2時間が経過する。結果、一度同行人が呆れ果てて置いて帰られたことがある。

私のその姿を知る人間は、私のことを「ペットショップ狂」と評するが、可愛いんだから仕方がない。

可愛さからは、逃れられない。