月刊ハコメガネマガジン

好物はカレー。

余裕があるときに限ってスムーズにことが運ぶ法則の話

旅行計画を立てるのが苦手である。


旅行自体は好きだ。お金の問題や時間の問題を抜きにすれば、職業:旅人でも一向に構わないとすら思っている。日本と言わず世界中をさすらいながら真実の愛を探し求めていたい。だいたいこのあらすじは見つからないやつである。

大体として、性格的に時間計画を立てるのに向いてないという話もある。

五分前行動、という言葉を誰しも聞いたことがあるだろう。上位バージョンとして十分前行動五分前集合というものもあるが、要するに時間に遅れないよう余裕を持って行動しなさいという話である。

素晴らしい言葉ではあるが、この日本においてそんなに不測の事態に陥る場合は多くない。電車の遅延などは首都圏においてままあるものだが、それはそもそも五分のタイムスペースでどうにかなるレベルのものではない。遭遇したが最後、流れるような動作で携帯電話を取り出し、待ち合わせの相手に平謝りするしか残された道はない。

だが、世の中には計画段階において、ことあるごとに余裕を持たせようとする人が存在する。

まぁ何を隠そう私の事なのだが、特に「人との時間約束」について、その仰々しい性格が発揮されてしまうのである。

具体的に言うと集合時間の15分前にはそこにいなければならないという前提がある。「そもそもその前提がおかしくない?」とは知人の談だが、私もこうして文字に起こしてみるとおかしいと思う。15分の根拠も一切不明だ。

そしてそこに行くために電車の乗り換えが何度か発生するとすると、その度に5分づつぐらい余裕を見るのだ。yahooの乗り換え案内などは、高性能で、乗り換えにかかる徒歩時間などを見積もってくれているというのに基本的には信用しない。

そして極め付けには、家を出る時間を逆算して、ざっくり30分単位でまとめだす。18時14分ぐらいに出ればいい→余裕を持って18時に出ようてなもんだ。

そうして計画段階で何度「余裕を持って」と発言したかわからないスケジュールに沿って行動した結果、待ち合わせの1時間前にぽつんと待ち合わせ場所に佇む一人の男が完成するのだ。笑っていただければ幸いである。

だから、基本的に私に分刻みのスケジュールを組ますのはオススメしない。仕事でもプライベートでも、計画念頭にあるのは「遅れないこと」であり、楽しむだとか、タスクをこなすことが後回しになってしまうからだ。

一昔前というにはさらに昔だが、「成田離婚」という言葉。全くもって笑えない。現に旅行に行って表情を失くされたことはある。そりゃ、何もない炎天下の草原で、1時間も突っ立っていれば人間そうなる。何が起こったのかは聞かないでくれると嬉しい。

ついでに付け加えておくと、自分一人で動く際に一定以上の複雑な行程を組むと、オーバーフローするのか、はたまた自分だけだから油断するのか、スポンと何かの行程が抜け落ちることがある。大体昼飯の時間だ。

私の深層心理はどうも昼食時間を移動時間と変換する癖があるらしい。駅弁などであればまだ良いのだが、歩きながらコンビニおにぎりを頬張るのは、いち社会人としてよろしくない気がする。

「大体が注意力不足」とは言われるものの。どうやったら治るのかこの癖は…。