月刊ハコメガネマガジン

好物はカレー。

行動を最適化するとエラーが検出されてしまう話

方向音痴である。


いい大人だが、未だに道に迷うのだ。

別に人生の話ではない。いや人生に迷っていないかと聞かれると、それはそれで記事になってしまうぐらい書かなければならなくなるのだが、今回は物理的な話の方向音痴だ。

方向音痴にも種類があって、地図が読めない型、現在位置が分からない型、そもそも目的地を見失っちゃってる型などが有名だ。ほとんどの場合はそれらが複合して、「方向音痴」となる訳だが、いかんせん方向音痴じゃない人にここら辺の話をしても伝わらない。どれだけ理路整然と説明してみたところで、彼らと方向音痴は分かり合えない。だから今日のこの話は、方向音痴同士が「そうだよね」「わかるわ」と言い合うだけの話である。

そんな中でも私は、「自信過剰型」に分類される。

自分で書いててなんでそんなことになるのか微塵も理解できないのだが(ここら辺に理解の差が生まれる)、ある特定の事柄についてのみ、妙に自信満々に行動してしまい、道を間違えるのである。

久しぶりに東京に出張したときのことだ。

久しぶりと言っても、4ヶ月ぶりぐらいで、そんな何年も経っている訳じゃない。しかも、忙しい時には月に2回は東京に行っていた。

要するに慣れているのだ。

初めて行く駅ではないし、だいたい乗り換えの経路だってわかってる。そもそも、使う新幹線の時間だって、乗り換えに乗る電車の車両位置だって全てがパターン化されているのだ。何を間違える要素があるのかと自分でも思う。

そして、間違えるのだ。

あろうことか、山手線の外周りと内回りを乗り間違え、降りる駅を間違え(品川から○個目の駅、と記憶している)、改札を進み、あるべきはずの北口出口がない所で、

「ここは、何処だ」

となるのだ。なるのだというか、なったのだ。

割と珍しいタイプの方向音痴の型のようで、電車に限らず、どんな所でも起こりうる。多分、道を覚えるときも、目印を使わずにひたすら右左で覚えようとするからだろう。RPGでよくある「北に三歩、西に五歩」じゃないんだから、もうちょっと賢い方法をとればいいのにと自分でも思う。

いや、普段はそんなことはないのだ。地図だって読めるし、今では目印を使えばわかりやすいということも学んだ。実践できているかどうかは別だ。ただ、体に刻まれた行動パターンに身をまかせると、たまに失敗するというだけなのだ。

だから方向音痴としては症状は軽い方だと主張し続けているのだが、未だに理解は得られない。

最初の方で「わかるわ」と言い合うと書いたが、30年生きてきて、未だ賛同者に出会った試しがない。それどころか、私がこの話をすると、哀れそうな視線で見られるのである。ええい、貴様も方向音痴であろう! なんなら「行動パターンが確立できないってことは、帰巣本能すら機能しないんじゃないか」と言われる始末。

…お犬様よりは、信用される人間でいたいと思う次第である。