月刊ハコメガネマガジン

好物はカレー。

手の甲に浮き出た血管と筋肉の話

「手の甲とか腕に浮き出た血管が好きなんです」

と言う女性がいた。

「わかる」

と私は返した。

その女性と無言で握手を交わし、手の甲に浮き出る血管がいかにセクシーであるかを語ること5分。周囲から浮き上がり、さながらラピュタのラストシーンのごとく彼方へトリップしかけている二人がいた。要するに周囲の人間は引いていた。我々が浮いていたのもあるが、周囲の引きっぷりもなかなか見事であった。過日の打合せでの話である。何の話をしてるのだ。

聞けば、皮膚に浮き出る血管フェチというものは、一定数信者を獲得しており、ある程度の市民権まで獲得していると言う。

何だとじゃあ何だ今の今まで隠れキリシタンのごとく日陰で生きてきた私は何だったんだと、軽いショックを受けたのだが、何の事はない。市民の殆どは女性だという。なるほど。たしかにそれはそうかもしれない。

男の前腕に浮き出る血管は確かに魅力的だ。私はオカマではないが、その主張は分かる。手の甲に浮き出る血管は無性に触ってみたい。そして私はオカマではない。前腕は外側だけでなく内側にこそロマンがあると確かに思う。繰り返すが私はオカマではない。

その女性は所謂筋肉フェチでもあり、真夏の引っ越し現場を日がな一日眺めていてもまったく苦ではないというなかなかに尖ったパーソナリティを持つ人物である。「引っ越し現場をハシゴする」なんていう言葉は、筋骨隆々とした、マッスルポーズで子供を四人ぐらい上腕にぶら下げることの出来る軍人上がりのようなナイスガイが頼もしく言い放つ言葉であって、決してオフィスレディから出てきて良い言葉ではないと思う。

確かに筋肉は良い。私がスポーツをしていた時につけた筋肉は三十歳となった今全て残らず私を寒さから守ってくれる鎧となり、体力が下がった代わりに防御力が上がっているのだが、やはり筋肉は良いと思う。人間最後は自分の体なのだ。銃弾で胸を撃ち抜かれんとする時に、1セントコインが守ってくれるのはイケメンだけであり、贔屓目に見積もって「殺人者みたい」と評される私は、筋肉に守ってもらうしかないのだ。

そういった話で盛り上がって数日。街ゆく人の筋肉を観察する日々が訪れている。

街ゆく人の筋肉を観察するという日本語の字面の破壊力もさることながら、実行為の方もとんでもない。なにせ180センチオーバーの野武士のような大男が、鋭い眼光で街ゆくマッチョを注視しているのである。この状況はおかしい。ヤのつく職業の方が用心棒を値踏みしているのではない。街ゆくマッチョを見て、「あの筋肉は良い」「あの筋肉は発展途上だな」「あの筋肉はバランスがおかしい」「太ももすごい!」となっているのだ。

そう、私は今、引越現場をハシゴする女子と同じ土俵に立っている。

繰り返すが。私は。ノーマルである。

流石に真夏の炎天下に引っ越しを見続ける趣味はないし、そんなことしようとも思わない。だが重いものを持った腕の筋肉の筋張る様の美しさは理解ができる。だが多分それを話したら「だよねだよね! 分かるよね!」と戦車のごとく件の女子がつっこんでくるだろう。

これはまずい。

このまま行くと、女性の白く眩しい太ももを拝見して「…筋肉のつき方が甘い」などと言い始めかねない。由々しき事態である。そんなミスター味っ子の味王のような評論をし始めたら、私の存在意義が瓦解する。

なんとかしなければならない。(多分そのうち元に戻る)