月刊ハコメガネマガジン

好物はカレー。

TPOの間違いでTOPって言っちゃうことがあるけど、意味考えたら別に順不同だから間違いではないんだよねと気づいた話

なお、言葉の意味としては間違いじゃないとしても、「単語」としては間違っています。

 

TPOに合わせろ、という大変ありがたいお言葉がありまして。

要するにTime(時間)、Place(場所)、Occasion(場合)に合わせた服装、立ち振舞いをせよ。ということですね。冠婚葬祭の場でよく耳にします。

言う方はね、これ以上なく便利な言葉なわけです。いちいち服の色、種類、形状、アクセサリの有無なんかを指定する必要もなく。バシッと「TPOに合わせた服装で来てください」と一言言ってしまえば良いのですから。

ですが受け取る方はちょっと面食らうことが多いように思います。そもそも、TPOに合わせた服装で来い、なんてことを言われる時点で、「こいつは放っておいたらTPOにそぐわない格好をしてくる」と少なからず思われているわけですよ。失礼な話です。

個人的には受け取り側に判断を委ねつつ、その実言ったほうが判定権を握っているようなこの言葉は、正直好きではないのですが。

先日、職場でソフトボール大会が開催された時に、何を隠そうこの私が発言されてしまいましてですね。

このソフトボール大会という代物、一週間のうち安息日である日曜日に職場懇親の目的で部対抗でトーナメント戦を丸一日かけて行い、夕方からはバーベキューをやらかすという、もうキリスト教徒なら文字通り神に背くような行いでして、別にキリスト教徒でもなんでもないんですけど、この日ばかりは聖人君子の豊さんといえど、発案したやつの頭に旧約聖書落ちてこないかなと不謹慎なことを考えてしまうというものです。

そんな全くもってやる気のかけらもない、休日一日潰してお金も全く出ない、休息も全くできない、本当に存在意義が見つからない日に向けて、「ちゃんとTPOに合わせた格好で来いよ」と念押しされたわけですね。状況説明終了。

さぁ難問でございます。TPOに合わせた? 別にこのソフトボール大会は初参加でも何でもなく、毎年毎年死んだ魚のような濁った眼で参加しておりますし、格好だってカジュアルになりすぎず、さりとて運動する気の全く無いクロックスやジーパンなんかを避け、ごくごく普通の、スニーカーに薄手のヒートテック、ポロシャツ、スエットぐらいの無難な格好で参加した記憶があるのですが、これがNGだったと? マジですか。

となると、どういう格好で臨めば良いのか。「お前なんだその中途半端なやる気は!」というお叱りの意味であるならば、ハーフパンツにハードタイツ、アンダーアーマーにレプリカユニフォームで固めた装備でスパイクまで装備して臨むべきなのだろうか。いや、流石にそれは。アンダーアーマーまでならともかく、ユニフォームやスパイクは流石に持ってないし、買いに行くのも論外。もうちょっと気合に入る格好をしろというニュアンスなのか?

いや待て早計ある。普段こなす筋トレや、一日の長があるバドミントンならまだしも、基本的に豊さんは運動音痴です。正直キャッチボールも怪しい。なんかボールが上に行くんです上に。すごい山なりになるんです。なんでなんですかね。

とまぁそんなレベルですので、もしかしたら「運動下手なくせに運動する格好で来るな」という意味なのかもしれない。冷静に考えたらそっちだろ。最初っから運動する気のない格好でくればチームに組み込まなくて良いから勝率が上がるという話か。

もうここに来て豊さんがソフトボール大会に参加する意義が全くもって霧散したのですが、ようござんす。楽できることに越したことはないでござんす。今年は小生、応援に徹しましょう。

…でも一応意味の取り違えが怖いから、荷物の中に運動用のウェアを入れて、チノパンにスニーカー、上はシャツに軽いジャケットぐらいの格好で臨みました。

ま、何がいいたいかと申し上げればですね、TPOとは逃げの一手なわけです。保険をかけて無難に走る。TPOとは、時と場所と場合に合わせるのではなく、考えられる不足に対応できるだけの備えを確保しておくということです。下っ端はそれくらいの気概で。

会社の最底辺でカブトガニのように目立つことなく生きている豊さんとしましては、波風立たせないことが第一なわけです。チキンと笑わば笑うがいいさ。カニだけどね。天然記念物だけどね! おいしいけどね!!! カブトガニ!!!!

なんで力説に至ったのかは自分でもよくわからないんですが、ひっそり生きるの大好き人間は、そこかしこにいるもんですしね。


…ああ、そういえば結局ソフトボールがどうなったかと言われれば。

「お揃いのユニフォーム作ってやったぞガハハ、一人2,000円な。格安だろうグハハ」

もうホントこいつの頭カインにかち割れればいいのに。

ぺらっぺらの生地で作られた真っ白なTシャツを手に、死んだ魚のような濁った目をして愛想笑いを浮かべる企業戦士の鑑。

世の中は、お世辞と妥協と愛想笑いで回っています。

 

この季節になると洗濯物を外干ししても冷たくて乾いた気がしない話

怒涛の10月が過ぎ、なんやかんやで11月もそろそろ終りを迎え、気温もそろそろ「冬」と言ってもよいのではないかと冷え込み始めた12月の足音が聞こえてきた次第である。


いそいそとユニクロのブロックパーカーを引っ張り出し、夏用スーツをクリーニングに出して、冬の装いに備えるのである。今週末にはこたつも出すべきかどうか悩んでいるのだが、こたつを出すととたんに家の可動域が狭くなる。まぁ飛んだり跳ねたりするわけでもないので、最低限の動線が確保されていればそれで良いのだが、最低限の動線すら確保できないとなるとどうなるか。ズボラまっしぐらとなるわけである。

まぁ、今更ズボラだろうがなんだろうが別に構いはしないのだが。部屋が汚い(散らかっている)ことと便利であることは反比例しているとはよく言ったものである。そりゃそうだ。物を使うにはひっぱり出さないといけない。毎日着るスーツをクローゼットに毎回仕舞うのははっきり言って非効率的である。どうせ着るのだから皺にならないように床に広げておけばいいではないか。そう、そうして部屋は混沌を極めていく。無論、皺になる。

床にスーツを広げられる程度には片付けられている我が家ではあるものの。どうしても週の終わり頃、金曜日あたりになると部屋が散らかり始めてくる。寝る前に読み散らかした漫画や、作業中にひたすら流しているDVDのパッケージなどが溢れてゆく。

大体の場合、それらを土日のうちに片付け、なんとか社会人として人にお見せできるような部屋の体裁を保っているのだが、土日に仕事が入るとそういうわけにもいかなくなる。さぁどうなるか。散らかりが二乗と化していき、洗濯物が積算され、平日の朝に「あれっ!シャツがねぇ!」となる。実話である。先週なった。諦めて半袖シャツの上にジャケットを羽織って一日脱がなかった。苦行である。

計画性のなさが露呈し、世の婦女子の方々は「豊さん最低」とか思ってるかもしれないんですけど、ちょっと待ってください。私は確かに洗濯物を溜め、シャツがなくて仕方なく半袖シャツを着ましたが、決して洗濯してないぐちゃぐちゃのシャツを着回したわけではありません。ちゃんと綺麗なシャツを着ました。寒かったけど。

というか、更に言うなら、世の中の男性の半分は一人暮らし時代に経験してますからね。確実に。一人暮らししたことない人なんて、いくら歳行ってようが確実になりますからね。むしろしたことがない人のほうがやばいかもしれない。

まぁ結局の所、12月が見えてきたことで仕事も忙しくなりつつある中で、家が散らかるのも仕方がないという言い訳の話でした。

…けどこの気温で半袖なんか着たら凍えちゃうので、洗濯はちゃんとしようと思います。かしこ。

 

「未来ラジオと人工鳩」をダイレクト・マーケティングするお話

<<<ネタバレ注意>>>
本日の戯言は、あるゲーム作品のネタバレを「若干」含んでいます。
プレイする上で楽しみを奪うレベルではなく、プレイしてみようかなと思っていただけるレベルでお話しているつもりですが、受け取り方に個人差はありますので、「ネタバレ is DIE」という過激派の方は本日のお話をスルーいただければ幸いです。

 


現代SFというジャンルがありまして。


自分の性格形成上、多大なる影響を及ぼし、度々ネタにもしている「イリヤの空、UFOの夏」を始めとして、ジェイムズ・ホーガンの「創造主の掟」、国内作家で言えば宮部みゆきの「龍は眠る」まで、現代~近未来を舞台として描かれるSF(ジャンル的にはミステリに分類されるものもある)が好きなのです。

ここでバルーンタウンの殺人を読んで、想像力豊であったがために嗜好が歪んでしまったYくんの話に言及してもそれはそれで面白いと思うのですが、本日はもうちょっと敷居を下げて、ゲームのお話です。

あ、ちなみにどういうふうに嗜好が歪んでしまったのか気になる方は、バルーンタウンの殺人のググってみたらよいかと思います。別に変な意味じゃなく、名作と呼ばれる一冊です。機会があればぜひ。

 

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素材の味を引き出すのに塩を使いがちだという話

お前は、カツオを食べたことがないのだと彼は言った。


んなわけない。

正味30年近く日本という国で食事をしてきて、鰹を食べたことがないというのはなかなか信じがたい。そりゃ、外国では違うのかもしれないが、ここは水産大国日本である。オクトパスだろうがデビルフィッシュだろうが、火を通せばなんだって食えるわな、何なら生のほうが美味いじゃないかと海の幸を食い尽くす国ジャパンである。タコは別に違和感ないんですが、ナマコとかホヤとかは割と抵抗がある人多いみたいですね。豊さんはナマコは食べれますがホヤは食べたことがありません。多分大丈夫だと思います。

で、冒頭の言葉なんですが、鰹は食べたことあります。というより昨日も食べました。夜9時にスーパーに行って見切り半額のシールが貼られた鰹のたたきをカゴに放り込みましたとも。美味しかったですよ。見切り品だろうがなんだろうが。鰹は美味しいですよ。という話をしたらですね。ものすごく可哀想なものを見る目で見られました。なんでだ。

曰く、「鮮度の落ちてる鰹は鰹ではない。なんか別のなにかだ」

別のなにかて。スーパーの鮮魚コーナーに謝れやと思う反面、なるほど、たしかに鮮度というものは重要であろう。彼のいうことも納得できる。

話を聞くと、本場高知の鰹はとんでもないと。明らかにレベルが違うと。食感から味から明らかにおかしいことになっていると。そうおっしゃるわけですよ。

本当に鮮度が良い刺し身やたたきは醤油やポン酢じゃなくて塩で食べる。出ましたよ塩。高級食材に添えられがちな岩塩ですよ。アルプスの山々で育ったピンク色の岩塩でいただくと甘みが際立つあれですよ。僕ら庶民には縁のない天上人が食されるあれですよ。畜生。ご飯に塩かけて食べとけばいいんだ。

と思ったら普通にアジシオらしいです。伯方の塩らしいです。マジでか。そんな庶民でも手の届く存在でいいのかと思うのですが、値段を聞いてみたらそんなに目ん玉飛び出る程でもない。少なくともホテルのレストランでA5ランク肉の鉄板焼きを4人前ぐらい食べられる値段。これは旅費を差し引いてもお釣りが来るのでは?

というわけで、今週末はサクッと一泊二日の高知遠征です。目的は鰹と皿鉢と餃子です。見事に食い倒れバンザーイ。

書いててお腹空いてきましたね…。

 

 

夏に夜空を見上げる話

9月になりました。


8月が終わってしまうと、夏が終わったように思えてしまうのは、よくよく考えれば不思議な事で、9月になったところで急激に暑さがなくなるわけでもなければ、制服が夏服から冬服へチェンジすることもなく。要するに「小中学生時代の夏休みが8月31日で終了する」というこのただ一点のみで夏が終わると認識しているのだろうと思うわけです。

小中学生と書いたのは、すでに僕が現役の高校生の時代では、8月31日を待たずに夏休みは終了していた実績があり、まぁ更に言うなら部活漬けだった日々を振り返れば、夏休みだろうがなんだろうがお構いなしに部活のために学校に行っていた記憶があるからです。今思えば完全オフの日が365日で元旦だけというのは明らかに常軌を逸していたような気がします。あまりのキツさに部活どころか学校までサボって遊びに行ったのも今となってはいい思い出ですが。あ、大学生はそもそも9月中旬まで休みですね。

話が少々ずれましたが、期間的な「夏の終わり」を多くの人が小学生の夏休みの終わりを基準として感じている、という話です。

もっとも、感覚的な「夏の終わり」というものはいろいろあって、例えば気温的な変化で肌寒くなるとか、旬の食べ物が変化してくるだとか、線香花火をやり収めるだとか、みんないろいろな部分で夏から秋への移り変わりを感じていると思うのです。ここらへんは、四季の国日本ならでは、といったところも大きいですよね。風流というか。

そう。夏の終わりは、本来は明確に決められるようなもんじゃないのです。

8月31日が終了して9月1日になって始業式になったところで、体育館のあの蒸すような暑さは変わらないし、苦し紛れに開け放たれた大扉の向こうに見えるグラウンドには陽炎が立ち上り、誰も望んじゃいないだろうに天高く登っていくその太陽はジリジリとグラウンドを、校舎を、そして体育館を焼いていく。一昔前に比べて数が減ったと思われるセミだって、ジワジワとその存在を声高らかに主張している。一体どこのどいつだ。8月31日に夏の暑さは終わりを迎えるから9月1日から普通に授業を始めるべきだなんていう根拠のない理論を振り回したのは。夏休みは日中暑いから集中力や効率が落ちるから休みにしようと始まったものではないのか。それならば休みの期間は気温によって決められるべきではないのかと中学生の頭は愚考する。ついでに言うならば先程から壇上で校長がたるんでるだの気合が足りないだの言っているが、たるんでるのは腹の肉で、気合が足りないのは毛根なんじゃないだろうかと、寝不足の頭で考える。怖いので誰のかは言わないが。いい加減このクソ暑い始業式は終わってくれないものだろうか。

 

UFOが飛ぶ夏は、今年ももうちょっと続くようです。