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白滝ソバおでん風味withハンペン

三十路になった豊さんの日記

大晦日にて

あっという間に大晦日。あっという間に2016年が終わろうとしている。

年をとると月日の流れが早く感じるとはよく言ったもので、その言葉には諸手を挙げて賛成する。思うに、新鮮な驚きが少なく、日々を「繰り返す」ことが加速感を煽っているのだろうと思う。

勘違いしてほしくないのだが、それが悪いことだとは思わない。と言うより、月日が早く流れることを悪だと思ったことはない。と言うよりその問題は善悪では計れまい。尺度がそもそも違う。

ともかく。とりあえず今年も。無事に2016年を終えることができた。正確にはまだ後6時間ほどあるが、まあ大きな問題は起こるまい。

振り返ってみれば、挑戦に挑戦を重ねて、まぁ案の定後に残るものは話のネタにすらならない程度の籾殻なわけだが、それもまた私らしいと言えば私らしい。

来年もまた、身の程を知らずに大きくジャンプして着地に失敗してコケるのだろう。もしかしたら骨折とかするかもしれない。積極的にはゴメンだが、結果としてなるならまあ仕方がないか。

仕方ない。飛んだ先の景色を見てしまったら、人はもう一度飛んでみたくなるものだ。

need to know.などとキザにカッコつける姿に憧れないでもないが。

ダメだ。「バカになること」と知ってしまった人間は、もう戻れやしない。

バカは死なななきゃ治らないって、そういうことなんだろう。

 

良い年を。

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アドレスの歴史は人生の縮図である可能性について

人はみな、痛いアドレスを持っているものだと思う。


それは、私たちの年代ともなれば、大体が過去のものだろうとは思うが、1つ2つぐらい黒歴史と呼ばれるアドレスを作ったことがあるだろう。

私が「メールアドレス」というものを初めて作ったのは、高校生の頃である。

今でこそ小学生でも持っている携帯電話だが、当時は高校2年~3年ぐらいで持たせてもらうのがスタンダードだったように思う。多分。そりゃ早くに持ってる奴は持っていたが、学校に携帯電話を持ってきてはいけないという校則もあって、私が買ってもらったときも、クラスの半分ぐらいの奴は持っていなかった。

初めて自分の携帯電話を持ったわけだが、それは同時に、「自分のメールアドレスを設定する」ということでもある。

今でこそランダム文字列のメールアドレスだって市民権を得ているが、当時は赤外線すら危ういレベルで、メールは直打ち、番号はワン切りで登録が基本だったため、少しでも意味がある文字列にしないと説明しづらかったことをありありと覚えている。

この「自分の好きな文字列」と言うものが曲者で、高校生の考える文字列なんてたかが知れている。好きなバンドの名前だとか、アニメの名前だとか。ある意味で今のこの個人情報保護時代より、パーソナルデータをインターネット上に公開することはご法度という空気が流れていたため、自分の名前をメールアドレスにガッツリ入れる人は多くなかった。

というわけで、黒歴史を見ていこう。


・「tukitoanatanihanatabawo@~」

明らかに黒い。真っ黒である。漆黒の闇である。

当時電撃文庫で刊行されていた「月と貴方に花束を」というタイトルそのままである。ラノベだ。

大元は「アルジャーノンに花束を」という作品の捩りなのだが、当時高校生であった私はそんなことを知る由もなく。「貴方」って書いて「あなた」って読むのがカッコいい。物語自体も面白いしこれしかないだろ。というとてつもなくひねりも何もない理由で設定した。最初の「つ」が「tsu」じゃなく、「tu」になっているあたりに、頭の悪さがにじみ出ている。

ちなみにこのアドレスの命は短かった。というのも、恐らくアドレスの「前」の所有者に至らぬ点があったらしく、登録して誰にも教えていない状態で迷惑メールがドコドコ来たからである。いちいち迷惑メール登録するのも馬鹿らしくなってソッコーで変えた。


・「faily-tail_0827@~」

先程までではないものの、なかなかに黒い。

ローマ字から進化し、覚えたての英語を使い、記号と文字列を使うことを覚えた段階である。こうやって見ると、人間の進化過程を辿っているようで興味深い。やっている本人は自虐と言いつつも精神にダメージを負っている。

ちなみに言っておくと、有名なマンガの「FAILY TAIL」とは別物である。当時はまだ「RAVE」をガンガンにやっていた。エリー派が幅を利かせる中でカトレア派の私はなかなかに肩身の狭い思いをしていた。…いやその話はまた今度だ。単純に「おとぎ話」というロマンチックさに惹かれただけである。今多分これを読んでいる人にも引かれている。

後ろにくっついている4桁の数字はそのものズバリ誕生日である。

この誕生日が曲者だった。

当時、一体どこからそんな頭にマッシュルームが生えてきそうな噂が出てきたのかと問いただしたいのだが、「メールアドレスに好きな人の誕生日を入れると恋愛が成就する」というデマが蔓延した。

悪質である。

非常に悪質である。

そして何を思ったかそのデマを信じてしまった、それこそマッシュルームどころか頭にベニテングダケでも生えて養分抜き取られてるんじゃないかという存在が私である。

まんまとデマに踊らされてメールアドレスを設定したものだからなかなかな騒ぎになった。

顛末を思い出そうとすると脳になかなかな負荷がかかるので詳しくは割愛するが、これもまた短命で終了した。(当たり前である)


・「meets-again~」

極めつけはギャルゲのBGMタイトルである。

忘れもしない、「First☆Kiss物語2」のかりんシナリオで流れる個別BGMのタイトルである。

当時ですらリメイクで出されたソフトだったので、もはや周囲に分かる人間などいるはずもなく、心置きなく長い間利用していた。我ながらニッチ過ぎるところをついたものだと今でも思う。

もうこの頃になると、段々と迷惑メール対処も携帯電話会社の方で頑張ってくれるようで、どんなアドレスにしたところで迷惑メールに悩まされることは少なくなった。

と言うより、段々と他の連絡手段である、ショートメールやクラウドメールの方が使い勝手が良くなってきて、自然と携帯メールアドレスというものを使わなくなってきていた。

結局この代のアドレスを7年ぐらい使い、その後はランダム文字列に移行したのだ。


このように、携帯メールアドレスというものにはドラマがあり、物語があり、その人間の黒歴史が大体の場合隠れている。

…だから間違っても、不用意に意味深なメールアドレスの「意味」を求めてはいけない。

とんでもないものが出てくる可能性すらあるのだから。

 

 

意識の外へ

人は、刺激に対して、慣れる生き物である。


悲しいかな、喉元過ぎれば熱さ忘れる、それは別に加齢によるものではない。人は確かに「閃き」を持っているが、それが記憶として定着し、形にできるのは、ごく一部の才能を持った人間である。

 

先日、こんなことがあった。

出先から戻ってきて、何の気なしに後輩くんのデスクを見ると、デュアルディスプレイになったパソコン画面のうち、サブディスプレイの画面のど真ん中に付箋が無造作に貼られていた。

明らかにディスプレイをコルクボード扱いしているが、ディスプレイの使い方なんて人それぞれだわな、と一人納得してカバンを置いてコートを脱いでパソコンの電源を入れて、

…普通に使っておるな。

視線を外せなかった私の負けなのか、後輩くんはでかでかと付箋を貼られたディスプレイを普通に使っている。明らかに使いにくいだろ。なんでそんなど真ん中に貼ってるんだと。

いわく、「こうすれば絶対に見落とさないじゃないですか。ライフハックですよライフハック

明らかにお前ライフハックって言いたいだけだろうとは思ったが、なるほど、確かにそれだけ目立てば忘れまい。

よくパソコンのディスプレイの縁に付箋をベタベタ貼る人がいるが(例に漏れず私もそういう人の一人だ)、それはしばらくして「景色」になる。要するに意識の外に行く、見慣れてしまうのだ。

そういう意味では、画面の真ん中にあるというのは慣れない。と言うか邪魔だ。作業効率が落ちて仕方がない。そうまでして忘れてはいけない用件とは一体何なのか。

「14:00 見積り書 連絡」

……。おかしい。私が出先で腕時計を見て「うわもうこんな時間だ」と思った時間が書いてある。

時計を見る。15時半。そうだね、世界はそれでも回っている。

ドヤ顔の後輩は、一瞬にして固まり、慌てて内線を取って何処かにかけはじめ、私は一連のやり取りを忘れることにした。

いや、忘れようと思わなくても、忘れるもんだ。人間は。それも、慣れの一つである。

 

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寒いからお外でたくない話

この休日はずっと「アマツツミ」をやっておった。


パープルソフトウェアと言えば、なかなかに老舗、それでいてコンスタントに新作を発表している、斜陽と言われるこの業界の中でもなかなかに存在感のあるソフトハウスである。個人の感想だ。

世間では冬一色でクリスマスだなんだと騒いでいるというのに、夏真っ盛りのゲームをやっていた。ゲームの世界の話だから、季節感なんてあってないようなもんだが。

人間に憧れた神の末裔の話、ありふれているといえばありふれているのだが。休日を潰してやってしまうのは、やはりそこに何かしら惹きつけるものがあるのだろう。

未だクリアには至ってないのだが、ここ最近のパープルソフトウェアの特徴として、伏線の張り方と回収の仕方がとても印象的であるというのが挙げられる。


通常、私のような暇人でもない限り、一晩でゲームをクリアしてしまうということはない。こういった恋愛アドベンチャーであれば、1日に1人、2人ぐらいづつ攻略していくのが常であろう。そうすると、どうしても「物語を反芻する」という行為が生まれる。

人間の忘却力(そんな言葉はないのだろうが)はすごいものがあり、それがたとえ1日空いただけでも、適度に「忘れる」のだ。そしてそれを「思い出す」ことで、記憶の定着を図る。これが「記憶する」メソッドだと言う説がある。私もこの意見には絶対的に賛成だ。

それを踏まえた上で見ると、このゲームは実にうまく伏線を「忘れ」させ、新鮮な驚きに変えているように思う。それを可能にしているのは、物語の流れが拡散分岐になっておらず、枝状分岐になっている点だ。

よくある共通ルートと個別ルートが時系列的に見てはっきりと別れている拡散分岐ではなく、共通ルートは大筋でありながら、そこから枝状に個別ルートが展開していくものを枝状分岐と呼ぶ。古くは「向日葵の国、車輪の少女」で使われた手法である。

この2つの最大の違いは、前提となる知識が共通化し辛い点だ。

要するに。「この時この登場人物はこの事実についてどこまで知っているのか」。読者と登場人物の間の知識に差異が産まれやすい点である。これは拡散分岐にも当てはまることであるが、枝状分岐はそれがより鮮明になる。特にそれが顕著になるのが、一人のルートをクリアした後、次の話を読み進める時に気がつくのだ。

「自分は、どこまでこの話を知っているんだっけ?」と。

その分岐方法を用いながら、伏線を繰り返し見せることで物語にマクロな強弱をつけている。しかもそれを、シリアスと日常のパートでの強弱、要するにミクロな強弱と錯覚させている。シナリオという枠だけにとらわれず、アドベンチャーゲームというゲームの枠までをも勘定に入れている。

ともすれば凝りすぎたがゆえに話が冗長になり、敬遠されてしまう危険もあるのだろうが、ピッタリハマればなかなか不思議な読了感を得ることができる。少なくとも私は、「面白い」と感じている。

久しく感じていなかった、「読み進めるのがもったいない」と感じることができるかどうか。ちょっと期待である。


…まぁ、小難しいことをこねくり回してはみたが、世にいう名作の条件はシンプルでとてもわかり易い。

「もう一度やりたくなるか、どうか」である。

 

「辛いものが好きな人はMだ」って先輩が言ってた

辛ラーメン」である。


長い間、私はこれを「からーめん」と読んでいた。読んでいただけでは飽き足らず、普通にそう人前で発言していた。恥ずかしいことこの上ない。終いには「かららーめん」と素直に読んだ上に、「ら」が重なるとかっこ悪いと感じて勝手に「ら」を一つ省略している。だってそうだろう。辛いんだろうこのラーメン。赤いし。我ながら驚くほど単純な理由で辛さを認識していた。

からいラーメンなんだから、「かららーめん」。「ら」が二つ続いちゃってるから「からーめん」と読んでいたのだ。明らかに名付けのスキルがない。ポケモンにニックネームを付けることが出来ない人種である。

初めて見たのは、おそらく海外旅行に行った知人のお土産だったと記憶している。中国かどっかに旅行に行って、ラーメンは好きだけど辛いものが苦手な私のお土産に辛ラーメンを買ってきてくれた。文字通り半分行為で半分嫌がらせである。いい友達を持ったものだ。

おみやげで貰ったものを捨てるわけにも行かず、さりとて明らかに辛いであろうものを好んで食べるわけでもなく、家の戸棚に仕舞っていたら、いつの間にか妹が食べていた。この時ばかりは妹に感謝した。遠い過去の話である。

それから何年か。日常生活で「基本的に自分の人生には関係のないモノ」として認識しており、無意識に視界に収めることをしていなかったのだろう。というのも、つい先日コンビニで新作のカップラーメンを何気なく眺めていたら、ひっそりと棚の端に陳列されていたのを見つけた。

これが私にはなかなかな衝撃であり、新商品でもない、それこそそれなりの歴史があるカップラーメンがコンビニの棚に並んでいる、というのは、極めて珍しいことだと思う。それこそ、新商品が週ごとに発表されるようなコンビニの売り場で、一体どれだけの商品が恒常的に売れるかを考えた時に、その偉業が分かる。世の中はそんなにも辛いものに飢えているのか。

辛いものが苦手な立場からすると正直良くわからないのだが、市場というものは正直である。名前がいつまでたっても覚えられない顔の薄いラーメン評論家や、食べログのレビューなんかより、よほど信用できる。それも繁盛している=世の中の機微に敏感なコンビニが置いているというのは、それなりの根拠、つまりは万人に受け入れられる美味しさがあるのだろう。これは認識を改めねばなるまい。

深夜のコンビニでお得意の理路整然チックなツッコミどころ満載の理論を披露し、私は辛ラーメンを買って帰ったのだ。


次の日。

「で、どうやったん?」
「……辛かった」
「辛味の中に美味しさがあった?」
「ねぇよ。辛いだけだよ」


というわけで、私の中で、辛ラーメンがコンビニに置いてある理由は「オーナーの趣味」ということになりましたので、以後徹底をお願い致します。